新シーズンのオリーブオイルが入荷しました!

オリーブオイル 石けん サラダ オリーブオイル工場 オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

第6号(2002年5月末発行)
  1. ナーブルス&石けん工場最新情報

    パレスチナ・オリーブの早尾が2002年10月初めにナーブルスを訪問しました。パレスチナ・フォーラムMLへの投稿です。


    二ヶ月ぶりにナーブルスに行ってきました。ある意味では状況は大きく変わりましたが、占領そのものに関しては相変わらずひどい状況でした。

    まず何が変わったかと言うと、人々が外出禁止令を破って、日常生活を取り戻そうと試みていることです。生徒たちが、労働者らが学校へ、工場へとできるかぎり足を運び、密かに(といっても外を歩いている姿は隠しようがないので半ば「公然と」なんですが)、学校・工場を開けようとしています。逆に、外出禁止令を厳守させたいイスラエル軍が、街の中の道路を破壊し、ナーブルスをいくつかの部分に分断し、移動を困難にさせています。

    これまでは、街と街のあいだ、村と村のあいだの道路が寸断され、その間だけを往復するセルビス・タクシーを乗り継いでいたわけですが、いまやナーブルスでは市内を移動するのにセルビスを乗り継 ぐ事態になっています。

    24時間発砲しているのは相変わらずです。

    二ヶ月前、すでにその時点でも精神的に限界に達していたように感じましたが、人々は外出禁止令を守らされていました。一歩も外に出ず、一日中家の中でゴロゴロせざるをえないでいました。

    私たちの友人の話すところでは、「状況が好転したわけではない。たんにコップの水が溢れるように、人々は限界に達し、外に出歩き始めているだけだ。ビジターの外国人が一週間家の中にこもることは可能だろう。でも地元の人間が一ヶ月、二ヶ月と続けて、仕事や買い物や学校から切り離されて、まるで監獄に入れられている状況が続くのは、我慢ができない。外出禁止令がないかのように振る舞うことが抵抗なんだ。」などと言っていました。

    この友人というのは、オリーブ石けんの工場を営んでいます。前回訪問したときには、もう二ヶ月工場を稼働させていないと言っていました。私たちも大急ぎで外出禁止令をかいくぐって、30分だけ動いていない工場を見てきました。でも今回は、工場を動かし始めていました。製造工程をすべてつぶさに見ることができました。とは言え、イスラエル軍に見つからないように、扉を閉め切っての労働です。バーナーでオイルを熱するので、工場の内部はものすごい高温になります。みんな(この日は6人の労働者)汗ぐっしょりになって働いていました。

    そして、外でジープや戦車の音がすると、扉に駆け寄り、小さな穴から覗いて、それが去るのを確認していました。

    一ヶ月前には、一度工場を開いているところを見つかって、徹底した取り調べを受けたそうです。「一インチにいたるまで」調べ上げていったそうです。もちろん身分証をチェックされ、工場を閉めて家に戻るように命じられました。そういうこともあったので、かなり慎重になっていました。

    一度は、石けんが固まるのを待つ間、飲み物を飲んで外の工場の横で休んでいるときに、ジープが「家に戻れ!」と叫んで走ってきたので、慌てて工場裏に退避しました。

    そうして稼働を再開した工場ですが、もちろん出荷もままなりません。それから原材料の入荷も。例えば、石けんに使われる苛性ソーダはテルアヴィヴのイスラエル・アラブの業者から入れているそうですが、「明日入ってこれるかなぁ」と心配していました。

    また、石けんをカットするのは、あるスペシャリストの仕事なのですが、彼は救急車の運転手を副業にせざるをえなくなっています。かつてはナーブルス市内の4つほどの工場の石けんのカットを担当していたのですが、この外出禁止状況で、しばらく仕事ゼロ。ようやく再開したこの工場でのみいま仕事をしている状況ですので、とても食べていけません。ここの工場でさえ現状では、「働けるのは、状況次第で週に0日から5日」という不安定な状況です。

    石けんの乾燥を待って、しばらくしてそのスペシャリストが救急車で到着しました。他方で彼のカットが終わらないうちに、大半の労働者が帰路につきました。夕方4時前には戻らないと危険になるからです。そのカット職人は、救急車で帰るからいいとのこと。彼に工場をまかせてみんな帰りました。

    と、帰り道。タクシーを拾える場所まで歩いていく途中、友人は道を曲がるたびに、通りで見かける人に声を掛けます。「ウェーン ダッバーべ?、アッサラーム・アライクム」、「フィー ジープ?、アッサラーム・アライクム」。ナーブルス流の挨拶。「こんにちは」の前に、まず「戦車はどこか?」「ジープはいるか?」と確認しあうわけです。こういう言葉にも現実が反映しています。

    タクシーを拾い、通りに出ると、友人が運転手に何かを怒鳴りました。運転手が後ろを確認すると、大慌てでハンドルを切り、猛スピードで走り始めました。真後ろから戦車が追走していたのです。そのスピードの速いこと速いこと。同時に複数のタクシーが、蜘蛛の子を散らすように方々に逃走しました。

    道路が破壊されてバリケードが築かれているところでタクシーを降り、急斜面の荒れ地を登って乗り換え場に。みんなが歩くので、自然に道ができています。このあたりは、西岸の街と街の間で見られたのと似ていますが、こちらは街中でのことです。

    こうして今や、この友人は毎日片道で三台、往復で6台のタクシーを使い、約30シェケルの出費を強いられています。こうしたことひとつひとつが生活コストになるわけです。

    乗り換え場まで歩いている途中で、ジープの音を聞きつけた彼が叫びます、「走れ!隠れろ!」。その足のこれまた速いこと速いこと。建物の影に潜むこと数分。完全に音がしなくなるまで待って、また歩きはじめました。

    それでも人々は生活を取り戻そうと試みています。

    ナーブルスでは約25の石けん工場が稼働していましたが、そのうちの3つが破壊されました。もちろんすべての工場が閉鎖に追い込まれていました。いま、いくつがわずかでも操業を密かに再開させているかは定かではありません。でも、威嚇射撃を受けながらも、別のルートを探してさまざまな工場を動かしている人々を見ると、きっとその数は少なくはないのだろう、彼の工場だけではないのだろうと想像します。期待を込めてですが。

    Main Street in Nablus
    ナーブルスの中心を走るメインストリートの真ん中です。もうすでに道路の形をなしていませんが、ここのポイントでどうにも車は通れないほどに完全に破壊されています。いつものごとく、穴と土盛り。穴の中にある水たまりは、水道管の破壊によるものでしょう。異臭を放っていました。

    taxi
    そのわきを通って、向こう側のタクシー乗り換えポイントに向かう人の流れです。あまりに細かく分断されているポイントでは、個人で乗る「スペシャル」と呼ばれるタクシーでさえも、乗れる区間が決まっているので、乗り合いの「セルビス」として走っていました。4人揃ってGO!。1か1.5シェケル。

  2. ニュース

    1. 3月に行われた交流の報告
    2. 〜兵役拒否・続報〜

    3月に行われた交流の報告

    「ガリラヤのシンディアナ」から、サーミヤ・ナーセル・ハティーブさん(パレスチナ人)とハダス・ラハブさん(ユダヤ・イスラエル人)のお二人が来日。仙台のほか、東京と大阪で実行委員会を作っていただいて、3月12日〜21日に各地で交流会や講演会を持ちました。

     

     講演会やシンポジウムでは、イスラエル内のパレスチナ人の状況、それを変えるための彼女たちの活動、そして彼女たち自身の生活を語ってもらいました。

     サーミヤさんは、イスラエル内のパレスチナ人のGDPはユダヤ人のGDPの24分の1であること、大学進学率も6%と低いこと、自らの歴史・文化を学校では学べないこと、マイノリティーとして暮らすためにアイデンティティーの問題があることなど具体的に状況を話しました。

     ハダスさんはパレスチナとイスラエルの対立という枠組で考えても解決は見えない。イスラエル社会を民主化すること、現在の世界のパワーバランス・システムを変えていくことがパレスチナの問題解決に必要だ、と言っていました。アメリカに追随するか、殺されるかの2者選択ではない第3の道に進もう、と呼びかけていました。これは、私たち自身がどうやって生きていくか、私たちにも投げ掛けられた言葉です。

     サーミヤさんとハダスさんは、仙台・東京・大阪の講演でそれぞれ200人〜250人もの人たちが集まったこと、新聞やTVなど一般メディアの取材が多かったことに驚いていました。イスラエルの中で対等な共存を目指す活動を行っている彼女たちは少数派です。それが、日本で注目され、支持されたことは、彼女たちが活動を続ける上で大きな励みになったのではないかと思います。また、彼女たちのオリーブオイルがどんな人たちにどんなふうに受け入れられているのか、初めて具体的に分かったと言っていました。

     今回、講演会やシンポジウムの間をぬって、東京や大阪の実行委員会がアレンジで、三里塚や横田・立川基地、扇町公園(大阪)、釜ヶ先などを訪問することができました。政府による土地の没収に対して土地に居続けることで土地を守ろうとする取り組み、日本の自衛隊・米軍基地に反対する取り組みなど、パレスチナとつながる活動を心強く思ったようでした。一方、経済大国である日本に野宿者がいること、しかも単身者が多いということには衝撃を受けたようでした。家族のつながりが強いパレスチナ社会では、失業率は高くてもこのような野宿者はいない、と戸惑っていました。

     多くの人々に支えられて行われた来日イベントは、私たち自身にとっても大きな収穫でした。一つには、9日間朝から晩まで一緒に過ごし、家族のことから政治のことまで何でも話しイベントを行うことで、彼女たちとの間で信頼感が強まったこと。そして、仙台はもちろん、各地で思いを同じくする仲間に出会えたことです。ご協力・ご参加本当にありがとうございました。

     今回の講演録、訪問記、関連資料などをまとめた報告集が2002年7月につげ書房から出版されます。書店またはパレスチナ・オリーブでお買い求め下さい。

    〜兵役拒否・続報〜

     「ぜいとぅーん」3号で、紹介した兵役拒否を表明した高校生たちの続報です。2001年8月、イスラエルで徴兵を控えた62人の高校生が連名でシャロン首相に手紙を書きました(イスラエルでは、男性3年、女性1年9ヶ月の兵役が義務づけられています)。イスラエルの政策に反対し、徴兵を拒否するものです。拒否を表明している人数は現在120人になりました。「ガリラヤのシンディアナ」の姉妹団体で、この高校生とガリラヤのパレスチナ人の高校生が一緒に集まりを持ったそうです。

     この「良心的兵役拒否者への支援フォーラム」からの連絡によれば、兵役拒否を表明した公開文書に名前を連ねているイガール・ローゼンベルク君とヤイール・ヒロ君が再び刑務所に戻されました。(3月17日のNHK番組で取り上げられていたのがヤイール君です)

     イガール・ローゼンベルク君は5回目の刑期、ヤイール・ヒロ君は4回目になります。彼らに励ましの手紙を書きませんか? 彼らの刑務所の住所は以下の通りです。

    ・Yigal Rosenberg,
    Personal Military ID7303585
    Military prison No. 4
    Military postal code 02507
    IDF, Israel
     
    ・Yair Hilu
    Personal Military ID 724070
    Military prison No. 4
    Military postal code 02507
    IDF, Israel

     イスラエル軍はたいてい、兵役拒否者を6番の刑務所に移しますが、多くの場合、そこでも手紙を受け取ることができるそうです。また、封筒を「良心的兵役拒否者への支援フォーラム」へ送ったら、確実に彼たちに渡してくれます。フォーラムの住所は、
    POB 41199, Jaffa 61411, Israel
    です。(「ガリラヤのシンディアナ」と共同の事務所です)

投稿日:2002年05月31日(金)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=200