日本オリーブオイルソムリエ協会主催の国際コンペで銀賞を獲りました!

オリーブオイル 石けん サラダ オリーブオイル工場 オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

第8号(2002年11月1日発行)
  1. お歳暮・クリスマス特別セット紹介
  2. 〜お料理講座 番外編
    ザータル(ハーブソルト)特集〜

    <ザータル1瓶 80g 450円>
    パレスチナ・オリーブ隠れ商品!?として「ガリラヤのシンディアナ」から少量輸入、イベントなどで販売していましたが、在庫がありますので1個から販売します。

    ザータルは野生のタイムで、オレガノに似た香りがします。パレスチナではこのハーブのことも、このハーブを乾燥後にゴマ、スーマック、レモングラス、塩と混ぜ合わせたハーブソルトのこともザータルといます。(スーマックもハーブの一種で、酸味がします) 塩味は強くありません。

    *基本の食べ方*

     小皿を二つ用意して、片方にオリーブオイル、片方にザータルを出す。パンをちぎってオリーブオイルをつけ、次にザータルにつけて食べる。パレスチナでは毎日、毎食の食べ物です。

    *勝手に応用編*

     実は万能のザータル。パレスチナ・オリーブの仲間たちオススメの使い方です。

    • パスタやサラダにあえる。ドレッシングに加える。
    • 鶏モモのソテーやムニエルの焼き上がりにふりかける。鮭の切り身などをそのままフライパンでオリーブオイルで焼いて、ザータルをふりかけるだけでも、しゃれたごちそうです。
    • トマトソース、スープなどの仕上げの香りつけに。仕上げにオリーブオイルも一緒に加えると、上品な香りが漂います。
    • オムレツなどの卵料理にもOK、意外なところでは焼きそばに合います。

     

    「ガリラヤのシンディアナ」が出荷しているザータルは、ナザレ丘陵地帯の村の人たちが摘んでいます。サフーリというとても大きなアラブ・パレスチナの村でしたが、イスラエル「建国」の1948年に破壊されてしまいました。現在は、アラブの村の土地にツィポリというユダヤの町があります。パレスチナの年配の女性たちは、今でも近くの丘陵地帯に摘みに出かけ、50年前と同じ方法で作っています。

    「サフテーン」というパレスチナの料理の本にはこう書かれています「ザータルは多くのビタミンを含むのでとても健康によく、のどが痛いときにお湯にザータルを加えて飲むこともあります。ザータルとオリーブオイルの組み合わせがリュウマチに効く、ということはよく知られています」(実際の効果はわかりません) 40日間乾燥したザータルを食べると魔よけになる、ザータルとオリーブオイルを混ぜたものを置いておくと家に幸福を呼び込む、などおまじないの言い伝えもあるそうですよ。

  3. 「ガリラヤのシンディアナ」ニュース

    シンディアナと関連団体のお知らせです

    *オリーブ収穫*

     パレスチナ・オリーブのオリーブオイルは、シンディアナのメンバー、フサイン一家のオリーブを手摘みで収穫(他の畑のオリーブは別のところに出荷されます)。2日以内に工場に運んで低温圧搾でオリーブオイルにします。フィルターを通さずに、数ヶ月寝かして(澱を沈ませて)から、シンディアナの女性たちがボトル詰め、ラベル貼りをして日本に向けて出荷。ハイファ港から横浜港まで1ヶ月ちょっとで到着。そして仙台に届きます。フサインさんのところでは、今年のオリーブ収穫は12月初めからだそうです。私がガリラヤで収穫に参加した2000年には、入植者が丘の上から双眼鏡でずっと監視していました。無事の収穫を願うばかりです。詳しくは次号で。

    シンディアナのメンバー、サーミヤさんとハダスさんが2002年3月に来日したときの記録、『パレスチナ/イスラエルの女たちは語る オリーブがつくる平和へのオルタナティブ』(つげ書房新社)がシンディアナにも届けられ、来日した二人だけでなく、他のメンバーからも好評をいただきました。内容をかいつまんで翻訳して伝えましたが、デザインの良さなども含め、自分たちの活動がきちんとした本の形になったことが嬉しかったようです。

    ぜいとぅーん3号、6号で紹介した、兵役を迎えた18歳のイスラエルの若者たちの兵役拒否の続報です。社会の中では圧倒的に少数ですから、孤立感などもあるようです。兵役拒否のために[出頭、兵役拒否の表明、14日間の刑務所行き。出た後に再び出頭、兵役拒否、刑務所行き]という繰り返しを受けています。

    「良心的兵役拒否者への支援フォーラム」の若者の声を一部紹介します。

    「わたしが『良心委員会』に行くときになっても、父母はいい顔をしてくれないと思います。顔を見合わせて、「こんなことになったのは、誰の責任だ」と言うのではないでしょうか。わたしたちの闘いは、拒否運動の外部的な展開とともにあるのではありません。拒否運動は内部に向けた闘いです。イスラエルでは、これはとても大切な点です。この国では軍隊とは単なる組織ではなくなくて、生活そのものだからです。わたしのことを裏切り者だという人もいます。しかし、わたしが本当の裏切り者になるのは、軍隊に入って、訓練の最終日に国旗の前で忠誠を誓った時です。そんなことをしたら、自分自身と自分の信念を裏切ることになります。この社会と身近な人々を裏切ることになります。兵役拒否は権利ではありません。義務なのです。」

    励ましのお手紙はこちらへ。(以前にお手紙下さった皆様、ありがとうございました。みな喜んでいました)

    The Forum for Support of Condcientious Objectors
    POB 41199, Jaffa 61411, Israel

    WAC(Workers Advice Center)は、ナザレに事務所をもう一つ新設し、東エルサレムの事務所も新装移転しました。また外国人労働者を安く政策的に利用しているイスラエル政府を裁判で訴えるなど(外国人労働の不当な搾取とパレスチナ人労働者の排除という二重の差別)、パレスチナ人労働者の差別問題に精力的に取り組んでいます。

  4. <オリーブ収穫>

    (早尾、6月よりエルサレム在住)

     11月はオリーブの収穫期。僕はヨルダン川西岸のオリーブ収穫に参加しました。

     僕が西岸のオリーブ収穫に出かけたことには理由があります。西岸地区の中には、ユダヤ教徒(ユダヤ系イスラエル人)の入植地がたくさんあります。それらはしばしばパレスチナ人のオリーブ畑に隣接していたり、またオリーブ畑を見下ろせる高い位置にあります。オリーブ収穫のこの時期、農作業をしているパレスチナ人らに入植者がしばしば発砲をしたり、投石をしたりして、農作業を妨害します。発砲は威嚇が多いですが、ときには射殺されることもあります。こうして農作業を妨害した後に、入植者がオリーブを盗んで採っていくということもあります。こうしたことを防ぐために、イスラエル人や外国人がいっしょにオリーブ畑に入り、いっしょに作業するのです。

     僕がこれまで行ったのは、北部ナーブルス近くのアイナブスという村と、これもそこから遠くないヤヌーンという村です。いずれも、イスラエル内のいくつかの平和団体(ピース・ナウやグッシュ・シャロームなど)が協力して呼びかけて市民ボランティアを募ったもので、200人くらいの参加者がありました。近隣のいくつかの村に分散して、収穫作業にあたりました。

     アイナブスのオリーブ畑は両側を山に挟まれた深い渓谷にあり、感動的なまでに美しい風景です。が、悲しいことにその両わきの山頂にユダヤ教徒の入植地があり、イスラエル人や外国人がいようとも、入植地の威嚇発砲は続きました。渓谷であるために、銃声が響き渡り、恐怖を倍増させます。入植地の近くには数名のイスラエル兵も見えましたが、彼らは一切動くことなく、発砲を制止しようとはしませんでした。

     この美しい渓谷の急な斜面をパレスチナのおばさんらはつっかけサンダルで軽々と上り下りします。ボランティアらはその後を、運動靴を履いて、息を切らせながらついていきました。そして、道具や収穫したオリーブを運ぶロバさんも軽快な足取りで登り降りしていました。本当に美しい風景です。銃撃さえなければ。

     もう一つの僕が行ったヤヌーン村は、人口150人くらいのとても小さな村です。「まんが日本昔話」に出てくるようなのどかなところです。ひなびた集落とその周囲に広がる山、その斜面にオリーブ畑。アイナブスとはまた一味違う世界が広がっています。ここには羊も多く、剪定と収穫の便を兼ねて切り落としたオリーブの高枝の葉に羊が群がっていました。が、度重なる入植者による攻撃に住民が耐えきれなくなり、先月とうとう全員が村を放棄して隣の町に移住するという、とんでもない事態にまで発展しました。そのために、ここにもイスラエル人・外国人の支援が入り、農作業の手伝いをしながら入植者の襲撃に警戒します。

     ところが、僕は行った前の週にはオリーブ収穫をしている外国人もろとも村人が襲われ、数名が重傷を負うという事件が発生しました。さいわい僕が収穫作業を手伝ったときには問題は起きませんでしたが、直接的な攻撃以外に、夜にオリーブの木を切り倒す、井戸にゴミを投げ入れるなどの嫌がらせも絶えず、24時間体制の警戒が必要な状況が続いています。

     オリーブは繊細な実です。漬物にするために収穫するタイミング、オイルをとるために収穫するタイミングがそれぞれあります。そしてそれを逃すともう収穫ができなくなります。この2年、情勢の悪化で西岸のオリーブの収穫量が連続して大幅に減っており、今年はさらにそれを下回るという予測が出ています。「入植者からの攻撃をイスラエル軍が完全に止めることができず危険だから」という理由で、西岸全土で軍がオリーブ収穫を禁止するという、奇妙なことまで起きています。しかし、時期を失すれば、農家は一年の収入を失うほどの打撃を受けます。死活問題です。そんな命令を守ってはいられません。西岸のオリーブをめぐる攻防は、ますます深刻化しています。

    イスラエル人入植者によるパレスチナ人のオリーブ収穫の妨害、それを守ろうとする平和団体の活動は何年も前から続いています。また、第一次インティファーダの頃から、働き手が政治犯として捕まるなどして人手が足りない家庭の収穫を学生が手伝う、といった活動もありました。私は短期留学(ヨルダン川西岸地区)していた1998年当時、学生議会が組織した収穫の活動に参加しました(学生たちにはボランティア単位の一つになっていました)。夫を亡くし、ビルゼイト大学で掃除婦として働き(その後よく学内で出会いました)子どもの学費を稼いでいる女性のオリーブ収穫の手伝いでした。(皆川)

  5. ナーブルス・石けん工場続報

    *パレスチナ・オリーブ石けんは、ナーブルスで作られた石けんを「ガリラヤのシンディアナ」で包装・出荷しています。

    (早尾。6月よりエルサレム在住)

     9月と10月に二度工場を再訪しました。もちろん占領が続いているのですが、状況は大きく変わりつつあります。

     まず何が変わったかと言うと、人々が外出禁止令を破って、日常生活を取り戻そうと試みています。生徒たちが、労働者らが学校へ、工場へとできるかぎり足を運び、密かに(といっても外を歩いている姿は隠しようがないので半ば「公然と」なんですが)、学校・工場を開けようとしています。逆に、外出禁止令を厳守させたいイスラエル軍が、街の中の道路を破壊し、ナーブルスをいくつかの部分に分断し、移動を困難にさせようとやっきになっています。いまナーブルスでは市内を移動するのに乗り合いタクシーを乗り継ぐ事態になっています。

     7月に訪問したときには、すでにその時点でも精神的に限界に達していたように感じましたが、人々は外出禁止令を守らされていました。一歩も外に出ず、一日中家の中でゴロゴロせざるをえないでいました。石けん工場主のMさんの話すところでは、「状況が好転したわけではない。たんにコップの水が溢れるように、人々は限界に達し、外に出歩き始めているだけだ。外国人の訪問者が一週間家の中にこもることは可能だろう。でも地元の人間が一ヶ月、二ヶ月と続けて、仕事や買い物や学校から切り離されて、まるで監獄に入れられている状況が続くのは、我慢ができない。外出禁止令がないかのように振る舞うことが抵抗なんだ。」と言っていました。

     前回訪問したときには、もう二ヶ月工場を稼働させていないと言っていましたが、今回は工場を動かし始めていました。とは言え、イスラエル軍に見つからないように、扉を閉め切っての労働です。バーナーでオイルを熱するので、工場の内部はものすごい高温になります。みんな(この日は6人の労働者)汗ぐっしょりになって働いていました。そして、外でジープや戦車の音がすると、扉に駆け寄り、小さな穴から覗いて、それが去るのを確認していました。一度は、石けんが固まるのを待つ間、飲み物を飲んで外の工場の横で休んでいるときに、軍のジープが「家に戻れ!」と叫んで走ってきたので、慌てて工場裏に退避しました。

     また、石けんをカットするのは、あるスペシャリストの仕事なのですが、彼は救急車の運転手を副業にせざるをえなくなっています。かつてはナーブルス市内の4つほどの工場の石けんのカットを担当していたのですが、このカーフュウ状況で、しばらく仕事ゼロ。ようやく再開したこの工場でのみいま仕事をしている状況ですので、とても食べていけません。ここの工場でさえ現状では、「働けるのは、状況次第で週に0日から5日」という不安定な状況です。

     と、帰り道。タクシーを拾える場所まで歩いていく途中、Mさんは道を曲がるたびに、通りで見かける人に声を掛けます。「ウェーン ダッバーべ?、アッサラーム・アライクム」、「フィー ジープ?、アッサラーム・アライクム」。ナーブルス流の挨拶です。「こんにちは」の前に、まず「戦車はどこか?」「ジープはいるか?」と確認しあっているのです。こういう言葉にも現実が反映しています。

     次の10月の訪問のとき。もう雨がときおり降る季節になり、市場にも収穫したばかりのオリーブの実が並ぶようになったころのことです。この日はしばらくぶりに外出禁止令の解除が6時まで。工場の扉を開けての操業ができました。Mさんの弟二人も働きに来ていましたが、彼らは本当は営業・宣伝の事務所担当。その事務所が破壊されて閉鎖されているので、作業の手伝いをしています。

     工場を開けることができたので、石けんの原料が工場の前に広げられて天日で干されていました。石けんの作り方には、伝統的に床に流して敷き詰めて固まった石けんをカットするものと、一度乾燥させて細かく砕いた粒状の原料を棒状に圧縮して固めカットしていくものがあります。この後者のものは、含まれる水分が少なく硬質なものができます。この粒状の原料は、24時間天日で乾燥させたあと、長く保存ができますので、例年この工場では乾季(4〜9月)の夏の間に200トンのストックを作ります。雨季の冬の間は、夏に作ったこの原材料のストックから石けんを製造するのです。が、この夏、外出禁止令のために、ストックがまったくできませんでした。外出禁止令を破り、工場に出始めたころには、夏は終わり、雨の季節が始まりです。丸一日天日で乾燥させることができなくなります。農業にせよ、工業にせよ、一年サイクルの仕事周期というものがあり、これが一部でも乱されると、ときには一年間の仕事に深刻な影響が出ることがあります。

     まだまだ困難は続いていますが、こうした中でも石けん工場では、日々良い製品を作ろうと努力を重ねています。毎年品質が向上していくオリーブ石けんが、また今度も無事に日本に届けられることを願わずにはいられません。

投稿日:2002年11月01日(金)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=202