日本オリーブオイルソムリエ協会主催の国際コンペで銀賞を獲りました!

オリーブオイル 石けん サラダ オリーブオイル工場 オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

18号(2005年1月25日発行)
  1. 「ガリラヤのシンディアナ」訪問

    通信前号でお知らせした通り11月27日にシンディアナやワーカーズ・アドバイス・センター(WACイスラエル内のパレスチナ人のための労働団体)の若者たちと一緒にオリーブ収穫イベントに参加する予定でしたが、どしゃぶりの雨で農地がゆるんだため、12月4日に延期になってしまい、参加することができませんでした。

    パレスチナ地域は、10月から3月頃が雨季で時おり雨が降ります(乾季の間は一滴も降りません)。今回は例年より雨が多く、一日中強い雨が降っている日もありました。灌漑率が数%しかなく、天水に頼るだけのアラブ・パレスチナ人の農地には恵みの雨ですが、オリーブの収穫は遅れます。

    11月末はオリーブ作業のピークで大忙し。農家やオリーブオイル工場、シンディアナの倉庫を行ったり来たり。シンディアナのマネージャーのハダスさんが一日中車で走り回るのにくっついて、ぶら下がり取材のようにあれこれ話を聞きました。

    運搬する車(小型バン)は酷使しているためか、窓が壊れていたり、途中で冷却水が漏れてエンジンが熱くなったり、オンボロですが、シンディアナを支える大事な車です。いまは年間販売量が約20トンですが50トンになったら大きめの車に買い替えられるかな?と笑っていました。もう一つ手放せないのが携帯電話。あれこれアレンジするために電話が鳴りっぱなし。くるくる予定が変わる。予定は未定、、、いつ何をする、という約束があまり成り立たないアラブの文化と、約束を決めてもその通りできるかどうかわからないパレスチナ・イスラエル情勢の悪化があります。また、イスラエル国内で食品を販売するにはコシェル(ユダヤ教に適合した食物)の認定が必要で、そのためにはラビ(ユダヤ教の聖職者)がオリーブ工場を訪問して審査しなければならず、農家や工場に電話してそのアレンジが大変そうでした。

    オリーブオイル圧搾工場

    イクサール村のハデルさんのオリーブ工場を訪ねました。ハデルさんはもともと別の仕事をしていたそうですが、大好きな、大切なオリーブを仕事にしたくて3年前に工場を始めたそうです。イタリア製の大型機械で作業が進みます。

    • オリーブの実に付着した葉や土を吸い込んで取り除きオリーブを水で洗う。
    • 機械をぐるぐる回しながら40分間オリーブをつぶす。このとき、間接的に35℃以下の温水でまわりを暖める。(これより温度が高いと風味が飛んでしまう。)
    • 遠心分離によって油と水を分離、オリーブオイルを採取。

    農家の人がオリーブを運び順番に使います(機械は使用後1回ずつ洗浄します)。今年はラマダーン(断食月)が11月13日に終了。14-16日が断食明けのお祭り。その後いっせいに動き出した上に雨も多く収穫は晴れた日に集中するので、どこのオリーブオイル工場も大混雑でした。デイル・ハンナ村のアベッドさんもアラーベ村のオリーブオイル工場の順番待ちで、夜中の2時に圧搾したと言っていました。

    農家

    シンディアナの容器(60L入)必要数を農家に運び、オリーブオイルを入れてまた倉庫に運んでタンクに移します。オリーブオイルはまず味見をし、簡単な器具でエクストラ・ヴァージンの基準を満たしているかをチェックします。またサンプルを食品研究所に持っていき、品質や搾ったオリーブオイルだけで何も混ざっていないか等をチェックします。そのイスラエルの企業が使う研究所は広大な敷地、近代的な建物。別世界でした。

    今回はアーラ村のナギールさんを訪問しました。ナギールさんは農業指導員です。ナギールさんのオリーブだけでなく、親族のオリーブ栽培に責任を持ち、オリーブオイルをシンディアナに納入しています。そのとき、ロハの話を聞きました。ロハの場所は、アーラ村にも近く、ウンム・ル・ファヘムと周辺の村の人々が私有している土地です。22,000ドナム(約20km)ありましたが、相次ぐイスラエル政府による没収で700ドナムしか残りませんでした。その土地が、1998年に「軍事立入禁止地域」に決定されました。それは、その後の没収を意味します。イスラエルでは、3年使用されていない土地は国家に没収されるという法律があるのです。この決定後、村の人々は海外の人々と一緒に強い反対キャンペーンを行ないました。この結果イスラエル政府と人々が土地を使用し続けてもいいという合意文書を交わし、土地は没収を免れました。政府がこのように一度決定したことをとりやめるのは異例です。

    倉庫に保管、ボトル詰め

    シンディアナの倉庫を訪問した初日はオリーブオイルのボトル詰めではなく石けんの出荷作業をしていました。一緒に石けんの包装をしながら、マリアムさん、マナールさん、サーミヤさんと話をしました。一番長く働いているマリアムさんの手つきは素早く正確で慣れたものでした。収入になって生活が助かるのはもちろん、働くのは家にずっといるよりいいと言っていました。

    ところで、10月にオリーブオイルのボトルのふたを閉める新しい機械が入りました。いま皆さんにお届けしているボトルから使っています。シンディアナ設立当初は、ふたを手で締めていたため、オイルが漏れてしまうというトラブルもありました。海外からの注文が増えてきたのでそれに応えていくためにもふたの機械を買ったそうです。数年前には「検討したけれど高くて変えない」と言っていたのですが、シンディアナも少しずつ前進しています。

    WAC閉鎖決定

    イスラエルの非営利組織(NPO)登録局がWAC(イスラエル内のパレスチナ人のための労働団体)の閉鎖を決定しました。登録局は、WACが「労働者の権利を守る」とは違う、政治目的で活動していると非難しています。しかし、WACは2000年にNPOとして登録して以来、すべてのエネルギーと資源を注いで、組織化されていない労働者、とくにアラブ・パレスチナ人の労働者の利益を促進してきました。労働者を組織して、ワーキング・グループを作り建設会社の仕事を確保したり、役所との交渉に当たるなどしてきました。

    現在WACは裁判所に訴えているほか、労働者を組織する権利は基本的かつ不可侵だ!と閉鎖反対キャンペーンを行なっています。私が訪問したときにも、ウンム・ル・ファヘムの事務所に労働者が集まって次々と発言して盛り上がっていました。詳しくはこちら

  2. 分離壁の両側

    前号の『ぜいとぅーん』で書いたように、ガリラヤ地方とヨルダン川西岸地区の間の人々の行き来は日常的にありました。イスラエルよりヨルダン川西岸地区の方が少し物価が安いため、グリーンライン(1949年、1967年の停戦ライン)沿いの村や町の商店はいつもにぎわっていました。また村の人々はイスラエルに働きに行っていました。しかし、分離壁の建設で人々の行き来が無くなりました。

    今回は、シンディアナに同行してバーカ・ル・ガラビーヤ村のアブー・トーメさんを訪ねました。村と言っても人口2万5千人の町です。彼は、山羊や羊を飼いチーズをつくって村の中で売っています。村の外に販売するには許可が必要なのです。彼には、西岸地区のカッフィーン村に親戚がいます。その農家のオリーブオイルをシンディアナに納入しています。バカー村からカッフィーン村までは、5分ほどの距離です。ところが、分離壁が建設されたため(まだ壁の完成していない)エルサレム周辺を回って10時間もかけてオリーブオイルが運ばれました。

    また、イスラエルで働く許可はわずかな人数にしか出ないため、多くの西岸の労働者が危険を冒して不法にイスラエル側に出て働いています。実際、窮状に陥っている親戚の面倒をみるという意味合いもあり、アブー・トーメさんもカッフィーン村の親戚の二人を雇っていました。ところが、それがイスラエル政府に見つかってしまい、一人あたり5000シェケル(約12,500円)ずつ罰金を取られたそうですが、その後また雇っていました。その働いている人は、カッフィーン村には3ヶ月帰っていないと言いました。本当は5分の距離なのに、危険を冒した10時間の旅を何度もするわけにはいかないのです。

    カッフィーン村は分離壁によって農地が分断され、オリーブ林の60%が壁の向こう側(イスラエル側)になってしまいました。カッフィーン村の住民は壁にある検問所を通る許可証あるのになかなか入れません。(そして住民以外は通れません) 私たちは、アブー・トーメさんに案内してもらいましたが、イスラエル側になってしまったカッフィーン村のオリーブ林は荒れ果てていました。彼は、壁の付近にはイスラエル軍や国境警備隊が多く、人権侵害が日常的に行なわれているので壁には近づかない、と言っていました。実際、案内してくれたときにも彼は車から降りませんでした。

    別の日、私たちはジェニーン近郊の女性組合からのザータルを受け取りに出かけました。シンディアナはもともとこの団体からザータルを買い入れていたのですが、壁の建設により難しくなったのでここ数年はナザレ近郊の農家からザータルを買っていました。ところが、イタリアでのスローフードの集まりで一緒になったアブー・アベッドさんが検問所を通って運べる、というので今回試みることになりました。

    バルター検問所で土曜日の朝10時に待ち合わせ。土曜日はユダヤ教の安息日で一般的に検問所の通過も緩いことが多いからです。ところが、バルター検問所は地元のパレスチナ人だけが通れイスラエル市民であるハダスさんは通れませんでした。アブー・アベッドさんが通るにも、手荷物は5袋までで大量のザータルを持っては通れないというのです。最近できた、最新式の設備を備えた荷物用のジャラーメ検問所を通らなければならない。やっとたどり着くと金・土休みで事前申し込みが必要だという。検問所の反対側にアブー・アベッドさんもいましたが会うことはできませんでした。この日は3時間走り回っただけでした。

    後日、あちらこちらの役所に電話しても、誰も責任者を知らない。最終的に、ザータルを出荷するにはパレスチナ農業省からの許可が必要で、イスラエル側の許可は必要ないことがわかりました。しかし、荷物の受け渡しを検問所でしても、アブー・アベッドさんとは検問所の事務所でガラスを挟んで対話することしかできなかったそうです。つまり、この検問所はイスラエル人が入植地と商品をやり取りするのにもっぱら使われ、パレスチナの産品を出荷することが想定されていないのです。(ヨルダン川西岸地区には約200の入植地に約40万人のイスラエル人が住んでいます)

  3. ヨルダン川西岸地区

    東エルサレムはインティファーダとイスラエルの軍事弾圧がひどいこの4年間に訪問した中では一番落ち着いて見えました。以前ほどではありませんが、感謝祭休みのためか、観光客も目につきました。地元パレスチナ人向けの市場は日用品(中国やタイの靴、服が多い)でにぎわっています。オリーブ、ナツメヤシ、ネギ、カブ、ホウレンソウ、トマト、キュウリ、ブドウ、サボテン、ナスとさまざまな野菜も並んでいました。

    エルサレムから検問所を二つ抜けてラーマッラーに行きます。二つ目のカランディヤ検問所付近では、道の途中から突然、8メートルのコインクリートの分離壁が現れぎょっとしました。

    ラーマッラーも、見た目は「復興」していました。2003年3月の大侵攻で爆撃された商業ビルもきれいに修復され、郊外に新しい大型商業施設もできていました。広い駐車場があり、大型スーパー、ベネトンまで入っていました。アメリカで成功したパレスチナ人が投資してつくったそうです。もちろん、誰でもがそんなところに出かけて買い物する余裕がある訳ではありません。町中では、近くの難民キャンプや地区からきたという物売りの小学生3人が「お菓子を買ってくれ」と声をかけてきました。

    それに対しナーブルスの町は元気がありませんでした。ナーブルスはここ1年以上外国人の立ち入りが禁じられていたのですが、たまたまナーブルスの入り口の検問所を通ることができました。(私がナーブルスに入る前後でもナーブルスに入れなかった、という外国人の話を聞いていたので、単に幸運だったのだと思います) これまでナーブルスは政治経済の中心でしたがその役割は衰退してしまったそうです。他地域と比べて検問所の封鎖が厳しい。特にナーブルスでつくったものをナーブルスの外に運んで販売することが難しい。お金のある人は商店や工場をナーブルスからラーマッラーなど他地域に移動させてしまったそうです。

    ナーブルス(石けん工場)

    1年ぶりにガザに出荷しようと運んだ石けんが未だにガザの入口の検問所で1ヶ月間積まれたまま。車で20分ほどの隣町、ジェニーンに運ぶ石けんもナーブルスの検問所を出るのに一日、戻ってくるのに一日かかっていました。石けんをナーブルスの外に運ぶ(検問所を通る)にはDCO(District Commander Office) の許可が必要です。許可を得るのに本来お金はかからないのですが、賄賂を払うと早く通れるそうです。払わないと拒否されることもあります。

    石けんを製造しても売れない(売りに行けない)ために工場は月の半分ほどしか操業できていません。家族経営の小さな工場でしたが、マジュタバさんの兄弟は一人が一昨年から、もう一人が昨年からアラブ首長国連邦のドバイへ働きに行っています。工場で働く職人さんも6人から3人に減り、月払いのお給料も日払いになってしまいました。職人さんたちも他の仕事もなく、家族を養うのが苦しい生活です。

    一方、ナーブルスから石けんを出荷できないのを見て、ガザやヘブロンに石けん工場ができたそうです。マジュタバさんは、オリーブ石けんをつくるのは技術がいるけれど、パーム石けんをつくるのは簡単なんだ、、、と言っていました。(パーム石けんは販売価格も安い) 話をしているときに、段ボール工場のマネージャーが打ち合わせにきました。ナーブルスの製品が売れずに工場が衰退するということは、製品を入れる段ボール工場の人も経営が厳しくなるということだと改めて気づきました。

    シンディアナに出荷するときには、タイミングを見て出せるときにまとまった量を送ります。そしてシンディアナが各国に送るのです。何度も検問所を通る必要がなく、石けん工場にとってよい条件です。

    マジュタバさんのお宅に泊まったときに、小学1年生のファラハちゃんが国語の宿題をしていました。教科書を読んでいたので内容を聞いていると、なんとイスラエルの刑務所に入れられている息子をバスに乗って訪ねるお母さんの話でした。びっくりして、お母さんに尋ねると「それがパレスチナの日常だから、学校でもそれを勉強するんだ」と言っていました。

    イドナ村訪問

    『ぜいとぅーん』15号で早尾が報告しているイドナ村女性組合ですが、私は今回初めて訪問しました。いままでギフトセットで使っている刺繍製品を注文するために、電話やFAXでやり取りしていたヌハさんたちに会えて感激しました。どしゃぶりの雨でしたが、みんなセンター(二部屋だけ)に集まっていました。村の女性たち20人ほどのグループで常駐スタッフは3人。他のメンバーは、週に3回センターに集まりデザインや布、糸を持ち帰り家で刺繍や縫製をし、出来上がった商品を持ってきます。夫に仕事がない中で、彼女たちの収入は貴重な生活費となっています。今まで、家事も育児も家畜の世話も自分がしていたのを、刺繍の仕事に忙しくなったら、夫が自然と牛の世話を始めた、と言った人もいました。写真で説明をしているのがヌハさんです。

    1998年にこのグループができたときから関わっている技術指導者の水本さんは「ヌハさんもさっきみたいに最初からみんなの前で堂々と話せたわけじゃないのよ」と話していました。

    ひどい雨だったので村の様子はよくわかりませんでした。小さな村ですが、村の入り口には検問所のゲートがあり、封鎖されると村に出入りすることができません。

     

  4. お料理コーナー

    冬においしいあったか料理

    ほうとうトマト&オリーブオイル風

    〜岩手県和賀郡 パン屋「瑠璃屋」さんより〜
    寒いこの季節、山梨名物「ほうとう」のトマト&オリーブオイルバージョン。体が温まっておいしい食べ方です。

    材料

    クッキングトマト(なければトマトの水煮缶でok)、タマネギ、ニンニク、ほうとう(またはひっつみ)、オリーブオイル、塩・コショウ・お味噌 各少々
    好みで キノコ類/肉類(ベーコン)/ジャガイモなどその他野菜

    作り方

    • オリーブオイルをひいたお鍋に刻んだニンニクとスライスしたタマネギを入れよく炒める。
    • 他に野菜やキノコ、肉類などがあれば、入れ炒める。
    • 水を入れる。(鍋料理ぐらいです)
    • トマトを入れる。多めの方がおいしい!!!
    • ほうとう(ひっつみ)をいれる。
    • 塩・コショウ・お味噌、そしてオリーブオイルをたっぷり入れて味付け。
    • 参考 ひっつみの作り方

      いろいろな作り方がありますが、簡単な作り方を紹介します。ひっつまんで(つかんで)鍋にいれることから「ひっつみ」の名がつきました。

    • 小麦粉100gに対して水50ccを加え、耳たぶの柔らかさに練る。
    • 生地がひとまとまりになったら約3時間冷蔵庫で寝かせる。ラップなどで密閉すると粘りが出てよい。
    • 冷蔵庫に寝せていた生地を、水で湿らせた手で伸ばしながら適当な大きさに摘み入れる。

    ポイント

    一度に摘み取る量は、大きすぎても、小さすぎてもおいしく仕上がりません。好みもありますが、だいたい小さじ一杯強位がちょうど良いようです。また、煮過ぎるとドロドロになってしまうので、気をつけて。

    ほんちゃんメモ

    市販や手作りの『ほうとう』もいいですが、瑠璃屋さんおすすめなのは岩手の『ひっつみ』です。また、このままスープにしていただいても、スープパスタにしてもおいしいですよ。隠し味の味噌が意外に合う!!!

    <ポトフ>みながわっちより

    ポトフと言えばフランスの家庭料理。ごろごろたっぷりのお野菜にお肉を入れ煮込んだお料理。ベイリーフ(ローリエ)やクローブを入れるのが一般的です。さらに、『ザータル』(ハーブミックス)と『オリーブオイル』を仕上げにかけるのも味が引き締まり、香りも良く相性ピッタリです。

  5. 本紹介&編集後記


    演劇

    アルカサバ・シアター『占領下の物語II−壁』

    2005年3月10-15日、新宿パークタワー3F、パークタワーホール
    主催:東京国際芸術祭(TIF)
    昨年2月に『アライブ・フロム・パレスチナ―占領下の物語』では迫力のある舞台に圧倒されました(『ぜいとぅーんj』16号で紹介)。パレスチナの劇団による「占領下の物語」シリーズ第2弾。


    映画

    「リアル/アラブ映画祭」

    2005年3月18−19日、アテネ・フランセ文化センター東京都千代田区駿河台2-11 アテネ・フランセ4階
    アラブの映画がたっぷり見られる二日間。パレスチナ人の監督では、『D.I.』で話題になったエリア・スレイマン(イスラエル国籍のパレスチナ人)の初期短編集『論争の終わりのための序章』『殺人というオマージュ』『アラブの夢』『サイバー・パレスチナ』や、ミッシェル・クレイフィの『三つの宝石の物語』『許されざる結婚』が上映されます。


    『ポリティサイド--アリエル・シャロンの対パレスチナ戦争』(バールフ・キマーリング著、脇浜義明訳、つげ書房新社、2004年)

    2000年からの「第二次インティファーダ」は、シャロン(当時野党リクード党首)によるイスラームの聖地の蹂躙への抗議行動によって始まる。自ら作り出した「泥沼の紛争」に乗じて翌年に政権を奪取したシャロンは、次にパレスチナへの「大侵攻」を開始する。自らに都合よく紛争を生み出し利用するこの手法は、1948年の第一次中東戦争以来ずっと、軍人として狡猾さと残虐さで名をはせてきたシャロンが、そのまま政治の世界に持ち込んだものだった。いまや老獪な政治家となったシャロンの生涯を、「建国」以来のイスラエルの歴史に重ねて分析を加えた本書は、複雑で矛盾に満ちたイスラエルの政策を、一貫したひとつのパースペクティヴからていねいに説明をしてくれる。


    編集後記

    今回は12日間のギュウギュウの日程でした。シンディアナがオリーブオイルのアレンジに大忙しの上に、連携団体であるWACの閉鎖決定で他のスタッフもみんな走り回っていました。

    ヨルダン川西岸地区訪問は、たまたまアラファト大統領のお葬式の1週間後というタイミングでした。友人たちは、晩年のアラファトには全く賛成できなかったけれど亡くなったら悲しかった、特にヘリコプターで遺体が運ばれてきたときには感極まった、と口を揃えていました。もうアラファトのような人は出てこないだろう、と。日本で聞くニュース報道は、アッバス大統領(アブー・マーゼン)で和平が進むような楽観的なものが多いですが、パレスチナではアッバスはアメリカやイスラエルの要求を何でも飲む人と見られ、人気がありません。友人の一人が、もう政府は無い(アラファトの個人的なものだったから)と言っていたのが印象的でした。ただ他にリーダーがいない。でもよく考えると、日本もアメリカも他の国も、まともなリーダーがいないよね、と意見が一致してしまったのでした。

    一方、今回テルアビブの南部を歩いたときにぼーっとベンチに座っている老人を多く見かけました。建物も見るからに古くてぼろぼろです。テルアビブはイスラエルの首都ですが、北部に近代的な商業施設や高級住宅地が立ち並ぶのに対し、南部は貧しい地域で外国人労働者も多く住んでいます。いまイスラエルのユダヤ人の中でも貧困層の割合が増え問題となっています(パレスチナ人の貧困は問題にもされていない)。軍事費に莫大な予算をかけている反面、教育費や社会保障費が削られているのです。戦争から利益を得ているのは誰なのでしょうか。

    短い通信ではお伝えできないパレスチナ、イスラエルの状況はパレスチナ・オリーブの「草の根ニュース」コーナーに掲載しています。

投稿日:2005年01月25日(火)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=210