日本オリーブオイルソムリエ協会主催の国際コンペで銀賞を獲りました!

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背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』63号 独立労組「マアン」訪問

『ぜいとぅーん』63号 2018年2月28日発行

シンディアナは、イスラエルとエルサレムのパレスチナ労働者を主に支援する労働組合のマアンと連携して活動しています。マアンの基本的な活動は、労働条件・環境の改善ための労使交渉や、労働条件の整った仕事の紹介ですが、他にもあれこれ活動を行っています。

<バーカ・ル・ガラビーヤ村事務所>

スタッフのアマーニさんが村の様子や活動を説明し、分離壁(隔離壁)を案内してくれました。大学を卒業しマアンで働いて4年の若い女性で、この村に住んでいます。マアンでは(ここの事務所だけなのか全体なのか確認し忘れました)、毎年200〜250人の女性の仕事を紹介しているそうです。さらに、事務所で女性たちへのエンパワーメントコースや絵画やヨガなどの文化活動コースも行っています。

バーカ・ル・ガラビーヤ村(東バーカ村)

バーカ村は、グリーンライン(1949年停戦ライン)で村が東と西に分けられてしまいました。しかし、2002年に分離壁ができる前は両方を行き来することができたので、バーカ村は多くの商店で賑わっていました。

分離壁が建設されるとバーカ村の商店街は破壊され、村人以外は分離壁の検問所を行き来することができなくなりました。村人も限られた時間だけの通行となっています。

一方、いま、この村は経済的にはイスラエル内のパレスチナの村では5番目にいいのだそうです。「真ん中」にあって(ナザレとテルアビブのちょうど真ん中くらいに位置する)、大きなユダヤ人の町であるテルアビブにもネタニヤに近い、「6号線」への出入り口になっている、という地理的条件で、働きに出やすいのだそうです。つまり、パレスチナ側の経済からは切り離され、イスラエル側に統合されてきていると言えます。

*「6号線」は2000年代に入ってからできた道路で、イスラエルの南北を東側の道路、つまりヨルダン川西岸地区と境界線(グリーンライン)に近い場所を通ります。ここには(イスラエル国内の)パレスチナの村が多いため、道路を作る際には、多くの村の土地が接収され、村が分断されたため、反対運動が起きました。

基本的に、イスラエル内で、ユダヤ人の町・村、パレスチナの町・村ははっきり分かれています。ユダヤ人の町に行く公共交通機関は、電車、バス、路面電車と大変整っていますし、たいていの人は車を持っています。でも、イスラエル内のパレスチナの村や町に行くのは公共交通機関もほとんどなくとても不便。車も高価でみんなが持っているというわけではありません。それでも必需品なので、親族・友人知人で借りたり乗り合わせたりしています。

マウザさんの暮らし

今年もバーカ・ル・ガラビーヤ村に近いヤマ村(イスラエル内のパレスチナの村)のマウザさんのお宅で美味しいご飯をいただきました。「ご飯にインゲン豆スープをかける+焼いた鶏」というご馳走でした。マウザさんについては詳しくは通信61号をご覧ください。

マウザさんは、分離壁の向こう側、ヨルダン川西岸地区の村の出身でヤマ村の人と結婚して移り住みました。4人の子どもがいるお母さんです。

マアンを通じて、テルアビブの専門学校の掃除の職を得ました。5人の女性たちでチームを組み、マウザさんの車で乗り合わせて通っています。通勤は片道1時間で、朝4時にヤマ村を出発し5時から13時まで仕事。

マウザさんの夫さんは「妻の稼ぎは俺の2倍だ!」と笑っていました。夫さんは5年前に病気で働けなくなってマウザさんが働き始めたのですが、いまは元気そうです。次男と一緒に自給用の小さな畑を耕し、小さな小屋で羊・牛・ロバ・ウサギ・鶏・鳩を飼っています。訪問したその日の朝に生まれた羊の赤ちゃんがいて、赤ちゃんが寒くないように火をたいて、つきっきりで面倒を見ていました。

去年お会いした時、マウザさんの長男は、2年働いたラマットガン(テルアビブ近郊のユダヤ人の町)のレストランで、シェフに嫌なことを言われて殴って辞めた、と言って求職中でした。今年聞いたら、テルアビブのレストランで働き始めた、前より職場の環境はいいし、給料も上がった!と言っていました。シフト制で働いていて、村に帰ってくるのは10日に1度くらいだそうです。

マウザさんは数ヶ月前に一回り大きい車に買い替えました(ステーションワゴン?の中古車)。毎日ぎゅうぎゅうに乗り合わせて仕事の通っていたのが、快適になったそうです。

あれこれうまく回るときはうまく回るものなのかもしれませんが、この数年で安定した現金収入+自給自足的な生活を作れたことがわかります。もちろん、毎日朝4時から働きに出るマウザさんの頑張りがあってのことです。「冬の朝は寒くて大変でしょう?」と訊いたら「掃除の仕事で一生懸命動くのですぐに体が温まる」と言っていました。

<東エルサレム事務所>

行く約束はしていたのですが、当日、何回電話しても通じないので、直接事務所を訪ねました。後で聞いたら、あちこちから電話が来ていて、、、とのこと。事務所には常勤スタッフが3人と非常勤スタッフが1人いるのですが、仕事がどんどん増えるのでいつも大忙し。事務所ではエレツさんからお話を伺いました。

現実の問題に対応しているうちに、労働問題だけでなく、活動がどんどん増えてきています。

行政手続き

まずは、社会保障など行政サービス手続き。(国際的には認められていませんが)東エルサレムはイスラエルが併合を宣言しているため、行政的にも法的にもイスラエルの管轄下にあります。税金や社会保障費は取られるのに行政サービスはたいして受けられていない、というのが東エルサレムのパレスチナ人の状況です。ヘブライ語が苦手、西エルサレム(イスラエル側)の役所に行くには交通が不便なのに手続きに頻繁に行く必要がある(西エルサレムと東エルサレムの間に交通がない上に、交通費もかかる)、役所がきちんと対応してくれない、、、とさまざまな困難があるのをサポートしているのです。とくに分離壁で分断され、壁の「向こう側」になってしまった東エルサレム住民の立場は大変です(ショファート難民キャンプを含み10万人以上います)。

個々の案件はあれこれなのですが、役所の担当部署と交渉するのに、WhatsApp(ラインのようなアプリ)が役に立っているそうです。まず、この問題に関するグループを作り、自分がどのような問題に直面しているか、事例をやりとりして問題をまとめる。でも、文章だけでは不十分。いろいろ否定していた職員に、写真や動画で事実を突きつけたら、急に対応が変わった、という話を聞きました。

就職に必要なことは?

「東エルサレムは、ヨルダン川西岸地区の経済から切り離されている。東エルサレムに(自律的な)経済なんてない」

これを現状として認めて活動していくのも複雑な気持ちだと思いますが、この状況では西エルサレムで働くしかありません。東エルサレムの相対的貧困率は78%。東エルサレムのパレスチナ女性が就職するのにあたって何が問題か調査したところ「高卒」「ヘブライ語ができない」「保育園がない」が主な理由だったそうです。

そこで、東エルサレムに住むパレスチナ女性のためのヘブライ語コースを始めました。マアンの活動に参加し始めたユダヤ人学生がヘブライ語を教えています。

また、西エルサレムには多数の公立保育園があるのに、東エルサレムには25ヶ所しかない、とくに0歳〜3歳半の子どもを預けられる保育園が不足している、民間の保育所は環境が悪い(働いている人にも十分に支払っていないなど)ということで、東エルサレムに公立保育園を増やすことを行政に要望しています。

ところで、エレツさんは、マアンに関わって10年ほどのユダヤ人スタッフです(マアンには、ユダヤ人スタッフもパレスチナ人スタッフもいます)。それ以前、東エルサレムに飛び地になっているユダヤ人居住区(スコーパス山)の会社に通勤していたとき、毎日周囲のパレスチナの町を見て、現状に疑問を感じ、何かできないか考え始めたそうです。

こぼれ話:アンダーアーマー

パレスチナでは、中国やベトナムなど安いアジア製の衣類が多く売られています。今回気になったのは、スポーツメーカーのアンダーアーマーのロゴマークが付いている服をたくさん見かけました(ロゴだけ勝手に付けている)。世界中で流行っているんですね。普通は子どもや男性用のものが多いですが、ナザレやジェニンの町で女性用の長袖ワンピースにもアディダスなどスポーツメーカーのロゴが付いているものを見かけて、面白く感じました。

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投稿日:2018年06月09日(土)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=268