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オリーブオイル石けん刺繍製品 パレスチナのちいさないとなみ オリーブオイル工場オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

山形で観られるお奨め映画!

山形の国際ドキュメンタリー映画祭は、2年ごとの開催で、文字通り全世界中からつまりアジアやアフリカ、そしてパレスチナ・イスラエルからも作品が 応募されてきます。その2年の応募期間ごとに、毎回約400本前後もの映像作品が応募されます。それらはいったんビデオの形で所蔵され、審査を経た後、約 15本前後が「正式出品作品」としてコンペティションにかけられるのです。この正式出品作品のみがフィルムの形で所蔵されます。

しかし、それ以外の全応募作品もビデオの形で保管されており(1989年から映画祭は6回を数えており、2000本を超える!?)、それが無料で観 られるのです。その中には、賞を取れなかった無名作品でありながら、しかし貴重なお宝映像がきっとたくさん埋もれていることでしょう。

所蔵ビデオの中に、パレスチナ・イスラエルで制作された作品、あるいはパレスチナ・イスラエルに関する作品もたくさんあります。正確に計算したこと はありませんが、50本くらいになるのではないでしょうか。そのすべてを観ることは困難ですし、また選ぶにしても中身を知らないことには、ハズレにあたる ことも。ということで、パレスチナ・オリーブで「勝手にお奨め紹介」をさせていただきます。

「石の賛美歌」 (ミシェル・クレイフィ監督)

ミシェル・クレイフィの傑作! 山形に出品され、賞も取っています。フィルム貸し出しもしており、私たちも仙台で上映会をしたこともあります。詳しい解説はこちら

「シャティーラ・キャンプの子供たち」 (メイ・マスリ監督)

レバノンにあるパレスチナ難民キャンプの一つ。「サブラ・シャティーラの虐殺」でも知られるこのキャンプの現在を伝えます。

「アカバ・ジャベル--故郷に戻れずに平和が?」 (イーヤル・シヴァン監督)

監督は、アイヒマン裁判のドキュメンタリー映画を制作したイーヤル・シヴァン。西岸にあるパレスチナ人難民キャンプであるアカバ・ジャベルを彼が取 材したものとしては、二本目です。ナクバ=「破局」から50年。西岸にほとんど定住してしまったかに見える人々が、故郷を思い続け、子孫に語り伝えていま す。

「サボテンに魂はあるか?」 (ジル・ディネマタン監督)

サボテンは、かつてパレスチナの村があったことを示す最後の印。イスラエル当局によって、家の土台からオリーブ畑まで、まったくの痕跡を残さずブル ドーザーで根こそぎにされた後、ただ垣根としてあったサボテンだけがかろうじて地中に残した根から再生した。そのサボテンを手がかりに、老人たちが昔の自 分たちの村を探す。

「エルサレムの家」 (アモス・ギタイ監督)

アモス・ギタイの傑作。東エルサレムにある小さな通りにある「家」は、1948年のイスラエル「建国」時までアラブ人(パレスチナ人)が住んでい た。その後、67年の第三次中東戦争までの間はイスラエル軍の前線として、アルジェリア系ユダヤ人が住む。67年にエルサレムが「統一」されるとある教授 がこの家を購入し改築することにした。一軒の家の来歴を追うことによって、イスラエル・パレスチナ間の葛藤の歴史を描き出す。「考古学的な記憶の戦場」の 記録。

「ハッピー・バースデー、Mr.モグラビ」 (モグラビ監督)

映画監督モグラビは、自分の誕生日と同じ日に行われる「イスラエル建国50年」の記念祭典の記録映像を撮ることを依頼される。同時に彼は、パレスチ ナ人から彼らの入れない地域になってしまった、現在のイスラエル人地区でかつてのパレスチナ人の村があった場所を取材することも依頼される。その一方で彼 は、土地の購入・売却をめぐって隣人や契約者とトラブルを起す。そのトラブルとパレスチナ・イスラエル問題とを重ねることは、必ずしも適切ではない部分も あるが、イスラエル人である監督が、「イスラエル建国50年祭」に疑問を持ち始め、苦しむ様子は興味深い。

〜お奨めできない「大賞受賞」映画!〜

「エルサレム断章」

監督ロン・ハヴィリオは、日本映画研究もするジャポニスト。10年の撮影時間を費やし、全7章、6時間に渡るこの「大作」は、「記憶」に訴える作品 でありながら、その語る「記憶」は、都合の悪いものは見ないという「隠蔽記憶」そのものです。そういう意味では、症例として見てもいいかもしれません。以 下、勝手に「解説」。

この映画は、「断章(fragments=断片)」というタイトル通り、通史的にではなく、過去の映像・写真・絵画、現在の家・家族・街の映像、人 々へのインタビューの断片を、時間軸を何度も往復しながら自在に織り交ぜる。その間、監督は饒舌にナレーターを務めている。断片を通史的全体に構成するこ となく「断章」として呈示し、忘却に抗い、「記憶から消し去られてしまうものを定着させる」。しかしながら、結局のところこの映画の目指すところは、イス ラエルという国家の存在と正統性を何一つ疑わない自らの家庭生活への予定調和的な物語の全体を再確認することでしかないのである。それに反するような一切 のものは見事なまでに排除・隠蔽されている。

物語は、エルサレム近郊のエイン・カレム(アイン・カーレム)の自宅から始まる(始まりであり、また目的でもある)。まず、そもそもこの村自体が、 48年に破壊・占領された村なのであるが、そのことへの言及はない。そればかりか、第3章では、そのまさに住んでいる家を撮影しながら、「19世紀にアラ ブ人が建てた家である。」と語っているが、ではなぜそこにイスラエル人である自分たちが住んでいるんかという問いは出てこない。(ここでは、逆に家の所有 者の来歴を問うアモス・ギタイ監督の「エルサレムの家」に注意を払うべきであろう。)

同じく3章で、リフタやデイール・ヤーシンなどエルサレム近郊の四つの村について19世紀にもすでにユダヤ人の入植地として購入しようという計画が 存在することが当時の書簡で示されるが、結局なぜ1948年まで購入が進まなかったのかには言及しないまま、唐突に「1948年にリフタの住民は村を出 た」というナレーションが入る。しかも、村の住民が自発的に村を出たかのような語りは、48年のナクバ(破局)を否定するイスラエル政府が捏造した見解で あることは、ほぼ論証されていると言ってよい。「エルサレム断章」の記憶が、実のところ公的歴史の反復でしかなく、またそれを再生産・維持しているという ことの証左の一つである。

これと匹敵するほど衝撃的な場面が第2章に登場する。この映画において、エルサレム旧市街の「嘆きの壁」は「記憶のつまった壁」として重視されてお り、さまざまな時代の映像が差し込まれている。映像資料として最も古いものが、1870年のものであり、そこに「壁の前は3メートルの幅しかない。」と監 督のナレーションが入る。次に1948年の写真が写され、通路幅が変わらないことが示される。それから「19年間のヨルダンによる支配の後」、67年にエ ルサレムを「再統合」した暁に、「数多くの人々が嘆きの壁を訪れることを予想し、邪魔な建物を取り壊した」とゴミ掃除をしたかように淡々と語られ、画面は 一気に現代の広々とした壁の前の空間とそこいる人々の映像になる。しかし、ここで一言も触れられていない「邪魔な建物」とは一体何であったのかは思い起こ す必要がある。

そこには、それまでアラブ・パレスチナ人の住居が135件あり、それがブルドーザーで取り壊された。約600人の人間が政策的に強制排除され、生活の場を奪われたのである。

こうした例を一つ一つ挙げていくときりがないのでこのくらいでとどめておくが、全体のトーンについて一言だけ加えたい。先に「ヨルダンによる支配」 と言ったが、この映画においてエルサレムが分割支配されたときに、壁の向こう側にいたのは「ヨルダン人」のみであり、67年に「再統合」して以降は、あた かも「ヨルダン人」はすべてヨルダン川の東岸に撤退したかのように語られているのである。したがって、パレスチナ人は存在しない。若干の「アラブ人」が異 邦人のように登場するが、何も訴えはしない。唯一、住居を奪われたことを告発する女性が登場するが、彼女はクルド人であり、その住居に入るのはアメリカ人 ということになっている。そもそもがユダヤ人・イスラエル人による収奪は存在しないのであれば、その収奪を告発するパレスチナ人など登場する余地はないの である。

この「エルサレム断章」が1997年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞を受賞した。

 

(文責:早尾貴紀)
投稿日:2009年04月20日(月)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=31