お取扱店募集中です!!

オリーブオイル石けん刺繍製品 パレスチナのちいさないとなみ オリーブオイル工場オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『石の賛美歌』

この映画の主人公はインティファーダである。ガザとヨルダン川西岸、つまり1967年以来のイスラエル占領地で、1987年2月に始まり、その後たゆみなく続けられてきたパレスチナ人住民大衆の抗議運動。ここに、そのインティファーダの一つの肖像画がある。

(板垣雄三『石の叫びに耳を澄ます-中東和平の模索』より)

以下の解説は、「パレスチナと仙台を結ぶ会」が1996年12月に仙台で上映会をしたときのチラシや資料に載せたものです。その後、インティファー ダに対する評価はパレスチナ人自身の中から様々に起こっていますが、以下の解説は1996年当時の私たちの認識であることをご了承願います。


ショアーからインティファーダへ
映画『石の賛美歌』解説


ショアーからインティファーダへ
--『石の賛美歌』仙台上映に向けて--

東北大学大学院国際文化研究科助教授・梅木達郎

ナチスによるユダヤ人絶滅作戦についてドキュメンタリー大作『ショアー』は昨年、仙台を含む日本各地で公開され、大きな注目を集めた。そこにはナチ スの組織的暴力にさらされた見るも無残なユダヤ人の姿があり、無力ななかにも蜂起しようとする絶望的な努力を試みるゲットーや絶滅収容所の人々の証言が観 るものに圧倒的に迫ってくる。彼ら--次々に殺されていくユダヤ人たちとその生き残り--は絶対的とも言える暴力の犠牲者であり、彼らを死に追いやった暴 力はどのような形であっても正当化されたり相対化されたりしてはならない。

だが映画や出版物はイメージの強力な宣伝媒体となりうることも忘れてはならない。戦後シオニズムを信奉するユダヤ人達はパレスチナに自分たちの国家 を設立した。イスラエルである。国家のアイデンティティの危機の数々をくぐり抜けてきたイスラエルは「ユダヤ人=ホロコーストの犠牲者」というイメージを ことあるごとに利用した。いわく、第二のショアーを未然に防ぐためにユダヤ人国家が必要である、アラブ諸国との戦争は迫害を逃れる砦となるイスラエルを防 衛するために正当化される、と。要するにパレスチナの地に暴力的に創設されたイスラエルは、ホロコーストの犠牲者ユダヤ人を救済する国として自己正当化を 図ってきたのであり、そのときショアーの悲惨さはイスラエルの国家神話として機能するにいたるのである。

『ショアー』というそれ自体良質のドキュメンタリー映画や『シンドラーのリスト』あるいは『アンネの日記』などが伝える「ナチスの犠牲者」としての ユダヤ人の姿に慣れ親しんだわたしたちを驚かせたのは、武装したイスラエル兵たちに素手で抵抗し、投石するパレスチナの子供たちの姿であった。そこに見い だされたのは、加害者としてのイスラエル兵士であり、巨大なゲットーと化した占領地で抵抗するパレスチナ人たちだったのである。かつての犠牲者であったは ずの人々が人々の加害者となる。1982年に隣国レバノンに侵攻し、ベイルートのパレスチナ難民キャンプ住民の虐殺の首謀者となったイスラエルという国家 の暴力性は、既に世界に知られ始めていた。1987年に始まったインティファーダは、迫害の犠牲者ユダヤ人の祖国イスラエルという国家のイメージを、パレ スチナ人達の投げる石が粉々にしたことだといってよい。

クレイフィの『石の賛美歌』は、犠牲者としてのパレスチナ人の視点からイスラエル国家という加害者を重く告発する映画である。しかしこの映画がもっ とも興味深いのは、たんなる一方的な糾弾に終始するのではなく、犠牲者が加害者に転じるという逆説そのものを考え抜こうとしている点であろう。映画の始め で、 「自分が生きるためにはなにかを犠牲にしなければならない」という問題が語られてはいなかっただろうか。暴力が暴力を生み、抑圧は他の抑圧を生む。この反 復の当事者となるのではなく、そこから抜け出す可能性を探るためにクレイフィは映画をつくっている。それはポスト・ショアーの時代を生き抜くためになされ た強靱な思考である。ホロコーストの記憶が暴力的な国家装置の自己正当化に利用されないためにも、この仙台で『石の賛美歌』に触れる機会を見逃すわけには 行かない。


映画『石の賛美歌』解説

『石の賛美歌』は、パレスチナ民衆のインティファーダに沸き立つイスラエル占領地を舞台にしている。しかし、クレイフィの姿勢は、抑圧者に怒りをぶつけて憂さを晴らすようなものではなく、人間としてのかなしみと心の苦痛を捉えようとするものである。

この映画は単なるドキュメンタリーではない。ドキュメンタリー映像に、パレスチナ人の男と女の愛の物語が織り込まれる。

同じパレスチナ人でありながら1948年と67年のイスラエルの占領によってガリレアとヨルダン川西岸に隔てられた二人は、70年代初めの抵抗運動 の中で出会い愛し合う。しかし、やがて男はイスラエル当局に投獄され、女は失意のうちアメリカへ去る。女は、追放され難民となった「外部」の同胞の悲しみ をも知り、15年ののち、若い世代のインティファーダさなか、エルサレムで男と再会する。この愛の物語には、パレスチナという土地・民族・出来事の空間 的・時間的な亀裂が集約されている。

しかし、なぜドキュメンタリーにフィクションを交差させたのか。それは、単に平面的な広がりにしたがって現実を撮るのではなく、そうした現実の広がりが過去の結果であるさらに巨大な垂直的現実の堆積であることを示すためである。

再会した男女に、クレイフィは冒頭で次のように語り始めさせる。

「きみはなにも見ないだろう、時間の廃虚のほかは。」

「わたしは見るでしょう、障害を受けた人々を。砕け散った魂を。貧困を。

私は見るでしょう、拒否と抵抗を。」

「君は見ないだろう、そんなものはなにも。

なにも感じられはしない、ここに住む者以外には。」

男は、占領下のパレスチナの「内部」であらゆる暴力を目の当たりにしてきた。女は自らの意に反してパレスチナの「外部」に去らざるをえなかった。この二人の対話は、パレスチナの中における内/外という経験・立場の差異を反映している。

実はこの対話は、マルグリッド・デュラス脚本、アラン・レネ監督の映画『ヒロシマ-私の恋人』(日本語タイトル『二十四時間の情事』の有名な出だしからの引用なのである。

「きみはヒロシマでなにも見なかった。なにも。」

「わたしはなにもかも見たわ。なにもかも。」

これは、原爆の体験を特権化する日本人の男と、それを共有しようとするフランス人の女の会話である。ここでデュラスは戦争の記憶の普遍化を求めてい る。つまり、<ヒロシマ>について語ることは、世界中のあらゆる暴力・抑圧を拒否すること、あらゆる自由や尊厳を求める訴えに耳を傾けることであるはずな のだ。

デュラスは、頑なに親イスラエルの立場をとり続けた。一方クレイフィは、パレスチナの「内」と「外」を映画の中に交錯させながら、パレスチナ人が生きる特異な現実をわれわれにまで届けようとしている。

〜参考〜

  • 鵜飼哲「破壊されたときを求めて-パレスチナ・映画・記憶-ミシェル・クレイフィ『石の賛美歌』のために」『ヘルメス』No.42、1993年
  • ミシェル・クレイフィ/鵜飼哲(インタヴュー・訳)「パレスチナのイマージュと『世界記憶』の生成」『現代思想』1993年5月
投稿日:2009年04月20日(月)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=32