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パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
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パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

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イベント

「批判的」イスラエル映画監督、アモス・ギタイ

近年のイスラエルの映画監督で、世界的にも名前が知られているのは、アモス・ギタイをおいては他にいないと思います。日本でもかなりの作品が上映さ れましたし、僕もいつかの作品を観ていますが、確かに『エルサレムの家』や『ケドマー』など、ひじょうに面白かったと思います。しかし、近年多くの人がア モス・ギタイを絶賛している中で、そうした姿勢に対し僕は違和感を持っています。それは、一言で書くのは難しいのですが、こういうことです。

ギタイ論でしばしば言われることは、ギタイが高く評価されるべきなのは、イスラエルが抱えているさまざまな矛盾を容赦なくえぐり出しているところ だ、というものです。イスラエル・アラブの問題も、パレスチナの占領地の問題も、アシュケナジームとスファラディームの矛盾や、世代間ギャップ、ジェン ダー間のギャップ、移民問題、等々も。しかし、1980年代にはいくつかの作品が上映禁止にまでなったはずのギタイの作品は、90年代にはイスラエル大使 館の後援を受けながらイスラエル映画を代表するものとして、映像作品の上映会が海外で頻繁に開るようになってきます。この変化は、どうも腑に落ちないと思 いました。

このギタイ評価の転換の背後には、イスラエルの文化政策の転換もあると思うのですが、ある種の時流に乗った「多文化主義」をイスラエルも前面に押し ださなくてはならなくなっている、そういう現状があると感じます。89年からのロシア系の大量移民に始まり、エチオピアからのファラーシャ(ユダヤ起源の 改宗クリスチャン)とか、さらには南米諸国やからとか、南アからとか、出身地域構成がどんどん多様化している。さらに加えて、各地からの外国人労働者の増 加。現実に、そして必然的に多言語・多文化になっている。そう状況とギタイの仕事は一定シンクロしているように思われます。

他方で、明確にシオニズムを肯定しているギタイは、この「多文化主義」と言われるものを換骨奪胎して、根本的な国家原理であるシオニズムを否定しな いかぎりでの、それに抵触しないカッコ付き「多文化主義」を打ちだすことで、90年代以降の変化にイスラエルが対応することを可能にしたと言えるような気 がします。そうだとすると、国家がバックアップするようになったのもうなずけます。

だから、僕からすると、それでいいのか、不十分なのではないか、逆に、すでに「国民的」映画作家になりつつあるのではないか、とそういう危惧も持つ わけです。もちろん、イスラエル国内で一般大衆ウケをするような作品を作っているわけではないのだけれども、むしろ海外向け、外向けの「顔」をつくってい るのではないか、つまりある種のプロパガンダになっているのではないか、と思えるのです。彼の多くの作品が海外に出されて高く評価されている事実に鑑みて も。

日本でギタイの映画を高く評価している人たちは、イスラエルのことをある意味でよく知っていると思うのですが、もちろんそれは、いわゆる、モサド・ マニアとかIDF(イスラエル軍)マニアとかユダヤ・マニアとかでは決してなく、アラブ・パレスチナ人とか占領地の問題とか移民問題をいちおう理解した上 で、しかしそれらを抱え込んだ複雑なイスラエルこそが「面白い」っていうことのようです。それは一面で僕もよくわかります。だけれども、そういうイスラエ ル「国家」の肯定は、「そのようなアラブ人や占領地などの問題を内部に抱え込んでいるのが、まさに我々の姿なのだ」というような、現状をたんに固定してし まう立場に転化できてしまう。批判的な視点を持ちつつも、現実のイスラエル・パレスチナ問題を解決する努力を回避したまま、ただ考え込んでいる素振りを保 持できてしまうのです。

これが、イスラエルの映画監督の代表的存在とされる、アモス・ギタイを評価する姿勢に対して、僕が感じている違和感です。


この文章は、アモス・ギタイの映像作品に関する書籍(とちぎあきら・藤原敏史編『アモス・ギタイ--イスラエル/映像/ディアスポラ』フィルムアー ト社、2003年)が出版された際の、出版記念シンポジウムで早尾が発言をしたことを要約したものです。また内容の一部には、パネリストとしていっしょに 参加をされた北小路隆志と平井玄氏、および上記書籍の編者二人との対話を受けた上で、再考した箇所も含まれます。(早尾貴紀)

投稿日:2009年04月20日(月)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=33