9月からオリーブ石けんが新しくなりました。

オリーブオイル 石けん サラダ オリーブオイル工場 オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

パレスチナの歴史と現状

パレスチナはどんな地域?

地中海沿岸の青い空・・・現在のパレスチナ自治区とイスラエルの両方を含む「パレスチナ地域」は、アラブ人のムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒ら がともに生活をし、宗教も民族も多様な地域でした。広さは約27,000m2(関東地方より小さい)、地中海に面し、オリーブや小麦、オレンジなどが育 つ豊かな土地です。

16世紀前半からはオスマントルコ統治下でしたが、地元のアラブ人は自治的な暮らしをしていました。19世紀後半にヨーロッパ諸国が植民地支配を広 げ始めた際に、イギリスやフランスの視野に入り、アラブ世界が分割されます。第一次世界大戦後、パレスチナ地域はイギリス委任統治領となりました。(写 真:エルサレム)

1948年イスラエル建国「ナクバ」(破滅/大災難)

20世紀前半を通じて発展していったシオニズム運動(★)は、第二次世界大戦直後47〜49年に大規模かつ組織的にパレスチナを軍事侵攻し(48年 5月より第一次中東戦争)、それにともない大量のパレスチナ人が故郷を破壊され、当時の人口の半数以上が難民となりました。またガザ地区はエジプトの間接統治下に、ヨルダン川西岸地区はヨルダン統治下に置かれる一方、イスラエル領内にとどまったパレスチナ人は66年まで軍政下に置かれ、多くのパレスチナ人所有地がイスラエルに接収されました。

★シオニズム運動
パレスチナにユダヤ人だけの国を建設しよう、という運動。当時ヨーロッパで差別や迫害を受けてきたユダヤ人たちは、旧約聖書の中にある、「約束の地」「ユダヤ人離散」という葉を政治的に読み替えて、分割されたアラブの一地域であるパレスチナへの移民を正当化しました。

1967年第3次中東戦争 ガザ地区・ヨルダン川西岸地区の占領

1967年の第三次中東戦争でアラブ諸国が大敗し、イスラエルによるガザ地区・ヨルダン川西岸地区への新たな占領が始まりました。

1993年オスロ合意

1987年からのインティファーダ(被占領地のパレスチナ人の民衆蜂起)、90年のソ連邦崩壊、91年の湾岸戦争など世界情勢の変化を受けて、1993年にイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の間でオスロ合意(パレスチナ暫定自治合意)が結ばれました。「歴史的和解」として世界に歓迎されパレスチナ自治政府ができました。

ところが、オスロ合意は、何らパレスチナ民衆の権利を回復するものではなく、難民の帰還権を無視し、パレスチナの土地を収奪し切り刻んでいるユダヤ 人入植地を容認し、水利権のイスラエル支配を認めたままの「合意」でした。他方で、オスロ合意以降に急増する海外からのイスラエル産業への投資による恩恵 からパレスチナ人は排除され、またパレスチナへの国際的な資金援助は自治政府周辺にだけ集中し民衆は置き去りにされました。

この不満の蓄積が、2000年の「第二次インティファーダ」の勃発につながります。これに対し、イスラエルによる過剰な軍事侵攻、外出禁止令、検問所の設置、分離壁(写真)の建設などが続いています。

2006年に、オスロ合意体制を批判してきたハマスが総選挙に勝利。イスラエルや国際社会はハマス政権を承認せず、イスラエルは封鎖や軍事侵攻を強めています。

現在、イスラエルに住み続けるパレスチナ人、ガザ地区のパレスチナ人、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人、エルサレムのパレスチナ人、周辺アラブ諸 国にパレスチナ難民として暮らすパレスチナ人、他国の国籍を持ちパレスチナ系○○人として暮らす人々、と異なる地域・状況に分断され、それぞれが困難を抱えて生きています。

パレスチナ地域の経済状況

イスラエル建国前後から、継続的に土地(特に農地)の没収が続き、水の利用も制限され、パレスチナの農家は十分な収益をあげることができません。一方で、ユダヤ人農家は、インフラ整備や助成金など政府から手厚い保護を受けています。

被占領地では、イスラエル軍の検問所、分離壁よりモノと人の移動が制限され、経済活動が妨げられています。

このため、パレスチナ人労働者はイスラエルの底辺労働を担っていました。しかし、1990年代以降、イスラエルの工場が労働コストの安い海外に移転。また、イスラエル政府は外国人労働者を増やす一方、ガザ地区やヨルダン川西岸地区からのパレスチナ人労働者の数を厳しく制限しました。イスラエル内のパレスチナ人も雇用を奪われ、失業率が高くなっています。

パレスチナでは、イスラエルの通貨(シェケル)が日常的に使われ、物価は日本など先進国と変わりません。パレスチナの生産物が出荷できない一方、イスラエル企業を通じて世界の商品が流入しています。

投稿日:2009年04月16日(木)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=12

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