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「ぜいとぅーん」75号

お知らせ

例年以上の困難を乗り越えて商品が届きました。

 

オリーブオイルとザアタルの入荷と値上げ

●オリーブオイル 

250cc 1,850円(税込1,998円)

500cc 3,200円(税込3,456円)

●ザアタル 700円(税込756円)

*オリーブオイルの賞味期限は2026年4月、ザアタルの賞味期限は2026年1月です。

 

 船が紅海を通れずアフリカ大陸を大回りしてくるために、通常より1ヶ月多くかかりました。

今回入荷したのは、「ガリラヤのシンディアナ」(以下シンディアナと省略)の契約農家さんのうち、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)コフル・カドゥーム村の協同組合からのナバーリ種のオリーブオイルです。

口当たりは滑らかで繊細な辛味と苦味があり、ハーブ、グリーン アーモンド、バナナの香りがします

<ナバーリ種>パレスチナ地域原産で、数千年前からの原種に近い品種

*入荷するオリーブオイルはパレスチナやヨーロッパの有機認証を受けていますが、日本でラベルに有機表示するための認証は取っていません。(コストがかかるため)

*瓶詰め・出荷はこれまで通り「ガリラヤのシンディナ」で行っているので、ラベルの原産国表示は変わりません。

現地での値上がりと円安のため、大変心苦しいのですが、オリーブオイルとザアタルは値上げいたしました。

 オリーブの収穫は10月半ばから12月。農業者・労働者の移動が難しく、オリーブの収穫やオリーブオイル圧搾工場に行くこと自体が危険だったため、パレスチナ全域で2023年冬のオリーブ収穫は大打撃を受けました。オリーブオイルの生産量は40%ダウン、現地の市場価格が上昇しました。

 

パレスチナの石けん<Basic>の入荷と値上げ

1個100g 900円(990円)

 ヨルダン川西岸地区は、イスラエル軍によって主な道路や検問所の封鎖が続いています。

 石けん工場はタイミングを見て12月下旬にオリーブ石けんを運んでくれました。この時点では船が紅海を通れたのですがアジアの積み替えの港で待たされ、3月末に届きました。

 オリーブ石けんザクロ入りは品切れ、注文はしていますが入荷時期は未定です。 

 

刺繍製品の売り切れ

 3月に届いた刺繍製品は、4月に販売を開始して10日間でほとんど売り切れてしまいました。刺繍製品を受け取った皆さんからは「思っていた以上に素敵だった」という多くいただきました。

次の入荷予定は8月です。新商品のスマホポシェットも入荷予定なので、お楽しみに。入荷はサイトやSNSでお知らせします。

 刺繍製品は航空便で日本に届きます。10月以降、村の外に行くには危険な状況が続き、数ヶ月間イドナ村から配送拠点のベツレヘムに行けなくなっていました。村の中で刺繍製品を作ることはできても、出荷に行けなかったのです。

ベツレヘムには、スタッフの女性がセルビス(乗合タクシー)を乗り継いで行きます。イドナ村からベツレヘムに行くには、いままでは往復2時間だったのに、今回は遠回りせざるを得ず、5時間かかったそうです。

*セルビス(乗合タクシー):7人乗りのワゴン。ルート上でどこでも乗り降りできる。

 

FOVEROのエコバッグ

2,600円(2,860円) 7月販売開始

 

・縦40cm x 横38cm

・コットン100%

・ミシン刺繍による絵柄で、パレスチナの地図や植物を描いたものなど5種類あります。サイトやSNSで写真をご覧ください。

・ご注文はおひとり様3つまで。郵便局のレターパックプラスで送ります(送料税込520円)。オリーブオイルや石けんなど商品と一緒の発送は不可。

・日本の一般的なエコバッグより一回り大きいサイズです。

 フォトジャーナリストの安田菜津紀さんや写真家の高橋美香さんが、2023年末にパレスチナを訪問した際に、偶然見つけた若者たちのストリートファッションブランド。私は今回、事務所・作業所を訪問しました(後述)。

限定数、臨時のエコバッグ販売です。

追記:すでに売り切れています。

パレスチナ訪問地図

 毎年の生産者団体訪問、今年は4月に行ってきました。

 

イスラエル:1948年に建国を宣言。イスラエルの総人口950万人の約21%、200万人がパレスチナ人(イスラエル建国後も自分たちの土地に住み続けた)。イスラエルではほとんどの地域で、ユダヤ人の町、アラブ・パレスチナ人の村や町、というように住むところが分かれている。法的・制度的にユダヤ人が優位の国家・社会のなかでマイノリティーとして暮らす(「アラブ」と呼ばれることも多く、通信では便宜的に「アラブ・パレスチナ人」と書く)。

 

ヨルダン川西岸地区: パレスチナ自治区。1967年からイスラエルが軍事占領。1993年のオスロ合意以降の交渉で主要な町はパレスチナ自治政府の管轄となったが、それはヨルダン川西岸地区の18%の面積に過ぎない。パレスチナ人の人口は約330万人。約150ヶ所のユダヤ人入植地に70万人以上のユダヤ系イスラエル人が住んでいる。

 

1948年以来エルサレムはユダヤ側の西エルサレムとパレスチナ側の東エルサレムに分断されていたが、1967年にイスラエルは東エルサレムを占領し、併合を宣言(国際法違反)。

 

イスラエル内に住むアラブ・パレスチナ人、エルサレムに住むパレスチナ人、ヨルダン川西岸地区に住むパレスチナ人は別々のIDを持ちます。IDカードは常に持ち歩かなくてはいけません。パレスチナIDの人は特別な許可がない限りエルサレムに行くことはできません。

ガリラヤのシンディアナ

 シンディアナの事務所があるコフル・カナ村はナザレに近い、人口約25,000 人、クリスチャンとムスリムが一緒に住むアラブ・パレスチナの村です(聖書の「カナの婚礼」の場所)。

 シンディアナの事務所・加工場、ビジターセンターで働いているのは約15人。2人を除いて女性です(契約農家さんやアドバイザーの人数は除いています)。運営スタッフにはアラブ・パレスチナ人もユダヤ系イスラエル人もいます。

 

加工場

 オリーブオイルのボトル詰めなど工場で作業をしているのは50歳前後のアラブ・パレスチナの女性たち5人。ワフィーエさんとシリーンさんは10年以上働いています(表紙写真)

 女性たちの休憩時間に混ぜてもらって、ご飯を一緒に食べるのがいつもの楽しみ。それぞれの家族の話、いまの季節の果物の話、物価や学費の話、、。月に1回くらいはエルサレム旧市街のアル・アクサー・モスクの金曜礼拝に行くのだけれど、10月以降しばらくは、エルサレムに行く道も封鎖されて行けなかった、という話も聞いたり(ガリラヤからエルサレムはバスで2時間くらい)。

 

<物価>イスラエルもパレスチナも物価は日本の1.5倍くらい。パレスチナはいまだ中央銀行も独自通貨も持てず、イスラエルの通貨シェケルを使っています。野菜・果物だけは日本より若干安いと感じます。が、大学の学費は日本の方が高かった!

 

<季節の果物>カラマンティーナ(みかんの一種)、アスカンディーニア(びわ)、サンタローザ(スモモ/プラム:青いままでも食べる)、チャイニーズオレンジ(金柑)

 

契約農家さんたちのオリーブの収穫状況

 シンディアナのオリーブオイルは、2つのプロジェクト林と4つの農家さんグループから来ています。

 2023年度は、プロジェクト林のうちアーラ村ロハ地区のオリーブオイルがパレスチナ・オリーブに届きました。しかし、昨冬、ロハのオリーブは木に実がが少なかった上に、収穫の時期に働き手が来ることができずことができず、十分な収穫量がありませんでした。

 ナザレ近郊のプロジェクト林は実の付きはまあまあでしたが収穫に1月までかかってしまいました(例年は12月に摘み終えます)。

 そのなかで、コフル・カドゥーム村の協同組合のオリーブは例外的に収穫量が多かったのです。しかし売ることも困難な状況だったため、シンディアナが、当初の予定分だけでなく協同組合が売りたい分の有機オリーブオイルをすべて買い取ったそうです。

 

コフル・カドゥーム村からの道のり

 

村でオリーブ収穫→シンディアナが手配したトラックで(ヨルダン川西岸地区内の)イスラエル軍検問所を通過して協同組合のオリーブ圧搾工場へ→外部研究機関で品質を検査→オイルを計量し大きな容器に入れる→パレスチナのトラックに積み込む→ヨルダン川西岸地区とイスラエルの境界にあるイスラエル軍検問所に到着→検問所でイスラエル兵士の検査を受ける→イスラエルへの移送が承認される→検問所の反対側で待機しているイスラエルのトラックに移される→「ガリラヤのシンディアナ」へ。

 

 コフル・カドゥーム村の協同組合は2021年にシンディアナに加わりました。ヨルダン川西岸地区北部、ナーブルスとカルキリヤの町の間に位置する人口約4,000人の村です。

 コフル・カドゥーム村の近くには、この村の土地を奪って作られたケドミーム入植地があります。その入植者が村の道路を封鎖したりする嫌がらせが以前から起きている場所なので、苦労の末に収穫されたのだと思います。

 私は2023年にこの協同組合を訪問しました(通信73号参照)。

*入植地:東エルサレム、ヨルダン川西岸地区(被占領地/パレスチナ自治区)につくられたユダヤ人のための居住区。住宅地だけでなく農地や工場地帯もある。入植地も入植者も増加し続けている。入植者は重武装を許可されている。

 

ビジターセンター

 シンディアナの加工場・事務所の上階にあるビジターセンター。シンディアナの製品が買えるだけではなく、訪問客がシンディアナの活動を学んだり、アラブ料理を食べたりするプログラムがあります。また、地元アラブ・パレスチナ女性向けのエンパワメントのためのカゴ編みコースや語学コースも開催していました。

 しかし10月以降の状況で、国内外からの訪問客が全くいないのでビジターセンターは休業状態でした。訪問客はまだいないのですが、地域の活動を再開しました。

 

Cooking without borders

 アラブ・パレスチナ女性とユダヤ女性が一緒に料理するワークショップ。1回に30人ほどが参加、ユダヤ人参加者はイスラエル全域からこの村にやってきます。ユダヤ系イスラエル人がアラブ・パレスチナの村に来る機会は通常ほとんどありません。ユダヤ人参加者の方に、アラブ・パレスチナ人への怖さはありつつ(!)、社会活動への渇望・要望ありるそうです。一方、アラブ・パレスチナ人が社会活動に参加する方が困難。女性たちが家事に忙しい、家族をどう無事に安全に過ごさせるか、家計をやるくりする等で手一杯と聞きました。

 

蜂プロジェクト

 ワディ・アーラ地方は、ヨルダン川西岸地区とイスラエルの境界(分離壁)付近にあり、アラブ・パレスチナの村が多くある地域です。

ここででプロジェクトを5月から始めようと準備中でした。はちみつを採ると同時に、減少している蜂を自然に返す、環境教育問題への気付きを広げる活動にするそうです。

 

特別支援学校

 ロハのオリーブ林の関係で、アーラ村にある特別支援学校の校長先生、ムハンマド・ユーニスさんにお会いできました(「身体にハンディキャップのある子どもたちの学校」という言い方をしていました)。

 もともと理学療法士としてこの学校に勤務し4年前から校長先生なのだそうです(年齢を聞きませんでしたが30歳台くらいに見えました)。

 イスラエル北部全体から、7~21歳のアラブ・パレスチナの子どもたちがスクールバスで通っています。料理とオフィスマネージメントの職業訓練コースもあります。

 ムハンマドさんたちは、学校運営だけでなく、地域コミュニティの人たちの「障がい者」に対する偏見をなくすための取り組みも行ってきました。村の人たちと一緒に学校のガーデン作りをしたり協働の活動をあれこれやって、「障がい者」もコミュニティーの一員であり、コミュニティに貢献できる存在なのだ、という認識を広げていきました。

 10月7日以降、「集まる」ことが禁止されたたため、しばらく学校は休校となったそうです。今後どうなるかの不安やフラストレーションを抱える生徒たちに対して、どう対応・ケアしたらいいか、年齢によっての違いもあるので、先生たちでよく話し合ったそうです。

アラブ・パレスチナ人の村にある学校ですが、イスラエルの公立学校です。先生としてその立場の戸惑い、複雑さも感じたそうです。

ナーブルス石けん工場

 ナーブルスは、ヨルダン川西岸地区北部にある大きな町で人口は約21万人です。石けん工場はナーブルスの郊外にあります。

 石けん工場では、運営・事務、職人さんたち合わせて約15人が働いています。新しいスタッフも2人いました。この厳しい経済状況のなか、石けん工場が雇用を維持・作り出している貴重さを改めて感じました。

 私が訪問中は、伝統的なオリーブ石けんを作っているところでした。

 

水・オリーブオイル・苛性ソーダだけを原材料をにして煮込む→床に並べた木枠に流し込む。→翌日カットする→約2ヶ月、棚で乾かす。

 

 工場主の息子のアドナーンさんが、叔父さんのアシュラフさんに習いながら床に流し込んだ石けん素地を滑らかにする作業をしていました(技術が必要な職人仕事です)。

 

品質管理責任者のアミーラさん

 24歳女性、石けん工場のある地区に住んでいます。ナーブルスにあるナジャーハ大学卒業後すぐにオリーブ石けん工場に職を得て、働き始めて2年半。「ラッキーだった」と言っていました。

 家族の仕事や実家の果樹のこと(オリーブ、ブドウ、スモモの木があるそうです)「季節はいつが好き? 食べ物は何が好き?」「いまは仕事が忙しいしあまりフォローしていないけれど、以前はよくEXO’sを見ていた。若い子はBTSが好き」(EXO’sもBTSも韓国の音楽グループ)など、仕事の話のほかに、日常の話もあれこれ聞きました。「交通が遮断されていていナーブルスの外には全く出かけられないけれど、まあ、いつものこと」とも言っていました。

 

*以前から韓国ドラマは流行っていましたが、今回、他でも10代のパレスチナの女の子が、韓国の俳優の写真をスマホに貼っているのを見かけたりしました。世界中で人気なようにパレスチナでも韓国の音楽グループや俳優は人気のようです。日本のアニメが好きな若いパレスチナ人も多いです! 『黒子のバスケ』『ハイキュー!!』を見ていたり。『進撃の巨人』の話もしたりしました。世代格差があり年配のパレスチナの人たちはアジアのタレントやアニメは知りません。

 

危険地域?

 石けん工場で製造しているオリーブ石けんの一部は、エコサート(ヨーロッパのオーガニック認証団体)の認証を受けています。これは毎年検査を受けて更新されます。ところが今年はヨーロッパからの検査担当者が「レッドゾーンの危険地域だから工場に行けない」と連絡、更新ができず認証が切れてしまうのだそうです。「危険」なのは石けん工場のせいではないのに、、、。

 

ナーブルス周囲の検問所


 ナーブルスの町に入る道路にはすべてイスラエル軍の検問所置かれています。新しくできたり臨時でできる検問所もあるのですが、いま6つあります。

 ナーブルスの南部、バスやセルビスの通る主要道路にあるフワーラ検問所は10月以降、ほとんど封鎖されています。

*フワーラの町は、10月以前からもユダヤ人入植者による「襲撃」(家屋や車に火をつける)が頻繁に起きている場所です。

 

 私はセルビス(乗合タクシー)で移動しましたが、ナーブルスに入るときにはナーブルス南西にあるムラッバアの検問所が封鎖でナーブルス西部にあるアワルタの検問所を通りました(村の中の狭い道路を通った)。数日後、ナーブルスを出る時には、アワルタの検問所が封鎖でムラッバアの検問所を通りました(山道の狭い道路を通った)。どこが開いているのか閉まっているのか、イスラエル軍次第です。

 イスラエル軍の指示で検問所は片側交互通行になっていたため、検問所前は混雑して待たされました。ムラッバアの検問所では、セルビスの乗客のうち若い子を下ろして、IDカードや名前をチェック、写真まで撮っていたので、ますます時間がかかります。

 石けん工場はナーブルスの郊外にあり、町と石けん工場の間にもイスラエル軍の検問所があります。ここも片側通行で毎朝・毎夕に混雑します。2~3時間待たされることもしょっちゅうだそうです。検問所が封鎖されていたら通れないし、開いていても時間がかかることを実感しました。

 このように移動・出荷が困難なため、石けん工場はいま、ヨルダン川西岸地区内の他の町への石けん販売を止めています。「(少量売るのに)行くのに2時間、帰るのに2時間では、、、仕事にならない」。

 石けん工場を訪問した日の早朝には、ナーブルスにあるバラータ難民キャンプにイスラル軍が侵攻しました。キャンプの入り口に、道路幅いっぱいの大きな穴が開けらているのを私も見ました。キャンプ内部の道路も破壊し、水道管や下水管が損傷したそうです。バラータ難民キャンプへの(とくに夜間の)侵攻は毎週のようにあります。

 

ナーブルスの町

 ナーブルスの町の中心部には、迷路のような細道に市場が並ぶ旧市街がありますが、すぐ近くには高層の商業ビルやショッピングモールも立ち並んでいます。旧市街を歩いたり、ナーブルス名物のお菓子クナーフェを食べるのは、ナーブルスに行ったら必ずやらなければいけないこと、です! パレスチナ人に会って「ナーブルスに行った」と言うと、必ず「クナーフェは食べたか?」と訊かれます。

*クナーフェ:セモリナ粉とチーズで作られた甘いお菓子、温かい状態で食べる。

 いつもに比べて、人や車がすごく少ない、と思いましたが、町の雰囲気は穏やかでしたし、お店の人たちは変わらず親切で、女子高生はいつも通り元気でした(必ず話しかけられます)。

イドナ村女性協同組合

 私がイドナ村女性協同組合のトートリュックを背負って歩いていると、パレスチナでも多くの人に「素敵」と声をかけられます。

 イドナ村はヨルダン川西岸地区の南部ヘブロンの町に近くイスラエルとの境界線沿いにある人口約3万人の村です(村を分離壁が分断)。

 コロナ禍では出荷ができずほとんど売り上げがなかったため経費削減で村のはずれに事務所を移しましたが2023年6月に町の中心部に戻りました。明るくて風通しのいい、布地や商品の保管にもいい場所でした。

 これまで、中心スタッフ3人のほか約30人の女性たちが刺繍や縫製の仕事をしていました。刺繍担当の女性たちは、事務所に材料の布 や刺繍糸を取りに来て、自宅で刺繍をして事務所に持ってきます。その刺繍し終わった布を縫製担当者がバッグ等に仕上げていきます。

 いま村の男性たちがイスラエルに出稼ぎに行けず稼ぎがなくなってしまったため(後述)、イドナ村女性協同組合に仕事を希望する人が増えたそうです。いまメンバーが20人増えて50人になりました。

 出荷が困難という問題はありますが、注文はたくさんきているので、仕事を提供できるということでした。

 私も、いくつか製品の改善を話し合い、追加注文をしました。

 検品や製品の打ち合わせが終わったら、みんなで食事をするのがいつもの楽しみです。今回は、代表のナイーメさんがクーサ・マハシーなどを作ってきてくれました。クーサ(ナスのような形をしたズッキーニ)の中にお米と羊のひき肉を巻いて蒸す料理です。私の大好物のジャミード(山羊や羊の乾燥ヨーグルト)を使ったスープもありました。

 

イドナ村と周囲の状況

 イドナ村には空爆や戦車の侵攻はありませんが、夜中にイスラエル兵が村にやってきて若者を逮捕していく、家屋が破壊される、というようなことは、他の地域と同様に頻繁に起きています。

 エルサレムからイドナ村に行く間には3つの検問所があります。私がイドナ村を訪問した日は、幸い、検問所は問題なく通過できました。ただ、帰りには村の入り口でイスラエル軍が検問を行っていました。

 

タルクミーア検問所

 ヨルダン川西岸地区からガザ地区への支援物資を積んだトラックがユダヤ人入植者たちに襲撃され、支援物資が道路に投げ捨てられる、という酷い事件が続いています。SNSなどで映像も出回っていますので、ご覧になった皆さんも多いかと思います。

 西岸地区の南部からイスラエル側に出る場所にあるタルクミーア検問所、この手前で襲撃が行われているのですが、ここはイドナ村のすぐ近くです。

FOVERO

 カランディア検問所に近い、FOVEROの事務所を訪問しました。この地域は、エルサレム行政区に属するけれど分離壁でヨルダン川西岸地区側になっている村、ヨルダン川西岸地区だけれどC地区が大半の村など困難な地域です。

*カランディア検問所:エルサレム行政区からヨルダン川西岸地区北部に行くときに通る検問所。

 

 代表のジャウダードさんは、1997年生まれ。海外の大学で勉強した後、2019年にFOVEROを立ち上げました。ラマッラー、エルサレム、ナザレにお店があります。

パレスチナ各地に住む若者たちのデザインを、衣服や文具に装飾して販売しています。

FOVEROは缶バッチなど簡単なものは事務所の作業場で作っていますが、自前の工場を持っているわけではなく、近隣の印刷所や縫製工場と連携して製品をつくっています。

 パレスチナには布を作る繊維工場がないので、服やエコバッグの布地はトルコから輸入。布を切って縫ってデザインを施して、をパレスチナで行っています。

 服の形はシンプルですが、フード付きのTシャツ、トレーナーがデザインにぴったり合っておしゃれです。

 価格はパレスチナで売られている服より高めなので、売り先は湾岸諸国など海外が多いそうです。エルサレムのお店では、顧客は外国人駐在員(メディアやNGOなど)が多いと聞きました。

*パレスチナは物価が高いので、一般的に売られている服はベトナム製やインドネシア製などアジアからのものが大半です。

 FOVEROのデザインは、見ただけでは意味がわかりにくいものも多くあります。

 今回エコバッグのデザインを選ぶときに、「ヤーファ・オレンジは日本ではわかりにくい。売りにくいかな」と私が注文から外そうとしたら、FOVEROのスタッフさんが「わかりにくいのがいいのだ」「”ダブカ、刺繍、ホンモス”だけではないパレスチナを知ってほしい」と言っていたのが印象的でした。「表面的ではない文化・生活を知ってほしい」と。

*ヤーファ・オレンジは柑橘類の一種。いま「ヤーファ・オレンジ」というとイスラエル企業の輸出品になってしまっていますが、19世紀には、ガザ地区が産地でヤーファ(いまのテルアビブの南)港から出荷されていたのです。

 パレスチナ・オリーブでは今回、限定的な販売ですが、FOVEROはオンラインショップがあり、日本からでも直接注文ができます。

FOVERO

 

抗議の一斉ストライキ

 FOVEROの事務所を訪問した4月21日は、ヨルダン川西岸地全体で一斉ストライキが行われていました。

 前日、イスラエル軍により、トゥルカレム近郊のヌール・シャムス難民キャンプで子どもを含む14人が殺害されたことに対する抗議です(この難民キャンプは以前からイスラエル軍の集中攻撃を受けていました)。

 パン屋・病院・薬屋を除いて、お店も公共交通のバスも、学校も全て休み。人も車も少なく静かな1日でした。

10月7日以降のこと

 10月に何かが始まったわけでは決してありませんが、より困難が状況が続いています。

 

観光

 東エルサレムで、タクシーの運転手さんやホテルの人、お店の人たちと話をしましたが「アメリカ、ヨーロッパからの観光客は全くこない」。ナザレ(イスラエル内のアラブ・パレスチナの町)も全く観光客がいないそうです。ホテルの料金も下がっていました。

 エルサレム旧市街は、地元のパレスチナ人はある程度来ているので閑散としているというのは違いますが、混雑とはほど遠い。イスラエルの休日である土曜日には、中国やインドなどアジアからの外国人労働者らしい人たちが観光を楽しんでいました。

 

自治政府の資金難と学校

 10月以降、イスラエルが代理徴収してパレスチナ自治政府へ送る税の送金を止めているため、自治政府は資金不足。公務員への給与は、遅れたあげく半年間で1ヶ月分のみだそうです。医療関係も含む、行政サービスが滞っています。

 小中学校も教員も給与が半額となり、学校の授業が週2回だけだそうです。私立学校や、難民キャンプにある国連の学校は週5日通常通りに行われています。

*イスラエルはパレスチナ自治区で住民から税を代理徴収しその後に自治政府へ渡している。自治政府の収入の大きな割合を占めるが、以前からイスラエルは何かあるとすぐストップさせている。

 

 大学は各地から先生も学生も通ってきます。道路・検問所の封鎖により通学が困難・危険だからと、ヨルダン川西岸地区のすべての大学が10月以降ずっとオンライン授業です。

*大学進学率は男女とも50%前後です。

 

それぞれの考え・対応

 私の知人は「平等な共存」を求めている人たちです。ユダヤ系イスラエル人もアラブ・パレスチナ人も「ショックだった。こんなことが起きるとは 思っていなかった」。「混乱した」「受け止めるのに時間がかった」と口にしました。

受け止め方、イスラエルを変えていくためにはどうすれば良いのか、などの考えは人によって、これまでの経験や年齢によって全員違う、というくらい様々でした。

 どうやって乗り越えるか、やり過ごすかも人によっていろいろでした。ユダヤ系、アラブ・パレスチナ系にかかわらず、「残念ながらイスラエルの攻撃は初めてじゃないし、これまでの経験があるから大丈夫」という平和活動家もいたし、「アメリカの団体がイスラエル・パレスチナの平和活動家向けのケアのセッションを行なっている。それがなかったら私は乗り越えられなかったかも」という人もいました。

 ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人たちも、日々、アル・ジャジーラ放送などでガザ地区の状況を見て涙しています(パレスチナ国営放送は誰も見ていません)。

 娘(14 歳)にニュースをすべて見せるか、制限するか、と友人に聞いたら「14 歳はもう制限できない(他からも情報入るし友達と話すだろう)、むしろ親子できちんと話し合っている、それが大事」とお父さんの答え。しかしニュースだけでは辛すぎるので、お母さん自身が「寝る前はサッカーの試合や動物番組を見て気持ちをほぐすことが必要」と言っていました。

 

スイカ

 以前からパレスチナ国旗や色をあしらったグッズは多いけれど、パレスチナでスイカの絵柄を見かけることは全くありませんでした。今年は世界で流行っているのが逆輸入した形でしょうか? エルサレム旧市街ではスイカデザインのグッズを見かけました。私のFOVEROのスイカ缶バッジを見て、50歳代のお母さんが「なぜスイカ?」と質問して、10代の娘さんが意味を説明したり、ということもありました。スイカ自体はよく食べます!

4月13日、14日のこと

 入国してすぐ、14日からヨルダン川西岸地区に行こうと、13日は東エルサレムであれこれ準備していました。

 しかし「入植者による暴力事件があった」「カランディア検問所が朝から夕方まで封鎖していた」「今週は西岸地区に行かない方がいい」という話が次々と入ってきました。

 12,13日に約1,000人の入植者たちがパレスチナの10以上の村を包囲して襲撃。民家や車に火をつけ、人々に発砲し、死傷者が出ました。集団で道路や交差点も封鎖し、パレスチナ住民の通行を妨げたのです。

 そんななか、23:00頃にはイランからイスラエルへドローン攻撃があるというニュースが入ってきました。「西岸地区は全面封鎖になるようだ」と聞いて、イドナ村女性協同組合、石けん工場と夜中に連絡を取り合って相談し、訪問はいったんキャンセルしました。

 夜中1:30過ぎには何回か爆発音がして、空襲警報が鳴りました。迎撃ミサイルがドローンかミサイルを撃ち落とした音だったのでしょう。5発くらいの迎撃ミサイルが一度に上空に上がっていくのを窓から見ました。

 翌日は何ごともなかったように1日が始まりました。ヨルダン川西岸地区もイスラエルも学校はお休み、イスラエルのベン・グリオン空港は全フライトが中止になりました。が、それだけ。結果的にはヨルダン川西岸地区も全面封鎖にはならず、「普通通り」でした。

 14日はイスラエルのバスも電車も通常通り。イスラエルが一見、なんでもない様子ことに奇妙な感じを抱きました。ガザでは虐殺が行われているのに。昨日は入植者の攻撃が各地であったのに。そして、イランの攻撃で、あんなにひどい入植者の襲撃の話は飛んでしまいました。これは特別な日の話ではなく、よくある日の話。一例として書きました。

続報:イスラエルの出稼ぎ労働者の失業

 パレスチナの人たちはイスラエルへの出稼ぎに現金収入を依存させられてきました(参照:通信74号)。

 10月時点で、ヨルダン川西岸地区からイスラエルに出稼ぎに通っていたパレスチナ人は約15万人、ヨルダン川西岸地区のユダヤ人入植地の工業地帯で働いていたパレスチナ人は約5万人。

 エッセンシャルワーカー(医療・食料など)8,000人が11月頃から復帰、入植地の労働者の約半分が3月半ばに復帰していますが、大半の労働者はまだ仕事に戻れていません。イスラエルによって労働許可証は更新されているけれど検問所が通れず働きに行けない、という状況だそうです。イスラエル政府はさらなる外国人労働者で労働力を補うと発表しましたが、実際には増えていません。

 20万人というのはヨルダン川西岸地区の労働人口90万人のうちの約22%になります。20万人それぞれの家族が6人だとすると、、、人口の約35%が、イスラエルでの出稼ぎに頼っていることになります。

イスラエルのアフリカ難民など

 ハイファでアフリカ難民支援をしている団体、ALEFのスタッフから話を聞きました。

  2006年から2012年に、エジプトのシナイ半島を徒歩で超えて、多くのアフリカ難民がイスラエルに逃れてきました。その90%以上が独裁体制や紛争が厳しいエリトリアとスーダンからです。2013年にはイスラエルがエジプトとの国境に壁を建設したため、難民が新たに来ることはできなくなりました。

 イスラエルの難民認定率は1%以下(日本も同様)。一時期は50,000人程度いたそうですが、現在は約27,000人。多くはテルアビブに住んでいるのですが、ハイファにも約500人住んでいます。事務所のあるビルも住民はすべてエルトリア人、と言っていました。

 アフリカ難民を難民認定はしておらず、ユダヤ人ではないので市民権もありません。でも、「強制送還できるまではイスラエルにいられる(強制送還にする法がないので強制送還されない)」。働くことは「違法ではない」。働けば社会保険も付きます。市民保険(日本の国民健康保険のようなもの)にも入れますが、イスラエル人と同じようには保障がでないそうです。 

 グレーな法的存在にされていますが、いまやテルアビブでは労働人口の5~10%がアフリカ難民によるものだという統計結果もあります。

エリトリア人は男女ともイスラエルに来ておりコミュニティ内での結婚が多いそうです。スーダンからは男性が多く、アラビア語を話すイスラーム教徒のため、イスラエル内のアラブ・パレスチナ女性との結婚もあります。

 ALEFは、もともとは大人向けに英語やヘブライ語の授業を行っていましたが、いまは子ども向けに宿題を手伝ったり、アートセラピーの活動をしたりしています(子どもたちがヘブライ語の読み書きが苦手で学校の授業についていけないため)。

 

「イスラエル内のアラブ・パレスチナ人の大学進学率が上がっている。」「ハイファにあるイスラエル工科大学では、学生の20%以上がアラブ・パレスチナ人、先生もアラブ・パレスチナ人が増えている」(技術系のトップの大学なので研究の軍事協力問題がありますが) 「イスラエルはアラブ・パレスチナ人を二級市民扱いしているけれど、医師・看護師・薬剤師にはアラブ・パレスチナ人が増えている。医療を支えているのは私たちだ」そういうこともあちこちで聞きました。

 イスラエルは「ユダヤ国家である」ということを声高に言いユダヤ人以外を制度的に差別していますが、実際には、パレスチナ人、外国人労働者、移民に支えられています。

 

オススメ本・記事

菅瀬晶子『ウンム・アーザルのキッチン』

(福音館書店、たくさんのふしぎ 2024年6月号)

 文化人類学者の菅瀬晶子さんが、ハイファに住むアラブでクリスチャンの女性の暮らしを生き生きと描いています。ディテールがしっかりしていて、ウンム・アーザルさんの人生とパレスチナ料理、ハイファの街並みが、ありありと思い浮かびます。

 

“違う存在”だった私が見つけた「ホーム」――イスラエルに生きるアラブ・パレスチナ女性が語る「共生」の意味 → こちら

 2023年12月末、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが「ガリラヤのシンディアナ」を訪問した際に、スタッフのナディアさんにインタヴューしました。Dialogue for peopleのサイトにインタヴュー記事が掲載されています。

 

オススメ・イベント

『パレスチナのちいさないとなみ』の共著者で写真家の高橋美香さんが、12月から2ヶ月間、主にヨルダン川西岸地区ジェニン難民キャンプに滞在しました。各地で写真展やトークイベントが行われているのでチェックしてみてください。

編集後記

 10月7日に何かが始まったわけではなくその前からパレスチナの人たちの苦難は続いていました。それでも世界中の人たちが毎日リアルタイムで、ガザ地区へのイスラエル軍の残虐な攻撃を目撃して、でも止められなくて7ヶ月。日本に住んでいる私でさえ心身ともに疲弊しているのに、パレスチナ、イスラエルで平等な共存を求めて活動してきた友人知人たちは、いったいどうやって日々をすごしているんだろう、とずっと心配していました。仕事・製品のための毎年の訪問だけれど、今回はとにかくみんなの顔が見たい、という気持ちでした。状況は悪化するばかりだから「ホッとした」というのはおかしいけれど、実際に会ってやはり何かホッとして、良いパレスチナ製品を売るという“仕事”を頑張らなくては、と改めて思いました。

 アラビア語には「アーディ」という言葉があります。「普通のこと」「いつも通り」という意味です。封鎖も、占領で仕事が妨げられているのも、アーディ、いつものこと。ため息混じりに、皮肉混じりに、この言葉をいつも以上に、何度も聞きました。私に対して「心配しすぎないで」「私たちは大丈夫」と、励ましてくれたニュアンスもあったのかもしれません。私が励まされている場合ではないのですが、、、。「どんな状況でも頑張って作って出荷するから、頑張って売って」なのかもしれません?!

 最初に「ヨルダン川西岸地区が全面封鎖になるかも」と心配してしまったために「開いている検問所があってセルビスで普通に行けて良かった!」と思ってしまった自分もいます。軍事検問所があるなんて、迂回しないといけないなんて、当たり前に思ってしまってはいけないのに。

 4月はオリーブの花がつぼみをつける季節です。今年はどの木にも数多くのつぼみがついていました。この冬には、絶対にきちんと収穫ができますように。